美食批評への誘い  Vol.41~

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第四十六回
タストヴァンとは何か
――万人に開かれたワイン判定能力――

 リーファーワイン協会では「タストヴァン」検定の設置を検討しております。従来、日本ではソムリエ協会のそれを筆頭にいくつかのワインに関する検定が存在しています。検定を開始するにあたり、他のそれらと比べて、「タストヴァン」検定とはいったい何であり、他の検定とどこが違うのかを明確にしなくてはなりません。筆者はここにそのたたき台になるような見解を記すことにしました。もちろん、筆者の考えや他の意見をもとに協会関係者、諸先生方との議論・検討を経て、「タストヴァン」検定が実施される日が近い将来、来ることを祈念する次第です。
 
 さらに本稿では筆者の考える「タストヴァン」のアウトラインを記しておきたいと思います。いくつか気になる細かい議論は会員用で取り上げたいと思います。また、すでに「テイスティング」一般に関してこの連載で書いて参りました。一部、重複する部分もありますがご容赦願いたく思います。
 
 さて、具体的な内容に入る前に、まず「タストヴァン」という言葉について、見ておく必要があるでしょう。taste-vinはもちろんフランス語です。辞書を引けばわかりますが、「タートヴァンtâte-vin」と同義語とあります。「クーポールcoupole」とも言うとあり、「ワインの唎酒容器」のことを指します。また、樽から唎酒用のワインを取り出すガラス管、テイスティングピペットもそのように呼ぶと記されています(『ロワイヤル仏和中辞典』)。tâtetâter=味見するという動詞からの派生です。もともと、この動詞は手探りする、探りを入れるから熟考する、ためらうといった意味も有します。ここで注意を喚起しておきたいのは、tâterが、○か×かのクイズの正解のような二択というより、味見し、ためらいがちに見解を述べるといった風の行為であることです。
 
 では、「タストヴァン」で検定する「判定能力」とは何か。筆者は以下の四種類の「判定能力」と考えます。
1.コンディション判定(ワインAは傷んでいないか?)
2.地域判定(例、ワインAはボルドー左岸(メドック)のワインである)。
3.優劣判定(例、ワインAのヴィテージX年はY年のそれより優れている)。
4.嗜好判定(例、点数(グレイド)が同じ場合でも、ワインAの方がワインBよりも美味しいと判断する)
 
 ソムリエ協会の検定で認定されるのは上記における1と2の判定能力と言えましょう。正確に申し上げれば、2が主でそれも地域判定ではなく「セパージュ(葡萄品種)判定」ということになります。地域判定とセパージュ判定の関係はこの後論じますが、ブルゴーニュ赤=ピノ・ノワール、白=シャルドネのように一致するものもありますが、ボルドーのようにセパージュが複数の葡萄の混交からなるものでは一致しないのです。
 
 さて、ソムリエ試験は何故1と2、とりわけ「セパージュ判定」に特化しているのでしょう。それはセパージュであれば、あたりかはずれ、つまり○か×と判定が明確だからです。1のコンディション判定も身につければ、傷んでいるかいないかの二者択一、評価の正否の判定が一目瞭然だからです。それに対して、34は主観的な要素が強いのです。例として、すぐ思い浮かぶのは「パーカースコア」です。例えば、〇〇年のムートンは100点で××年は98点というのが3に相当します。また、△△年のラトゥールとマルゴーはどちらも99点だったがどちらを好むかというのが4に相当します。パーカーの場合、樽の効いたエキス分が強く、アルコール度数の高いワインがお好きなようで、中庸の美を求める採点ではなく、極めて主観的にも思うのですが、とりわけ日本人は偏差値やテストの点数で人生が決まってしまうためか、パーカースコアを重んじる傾向が強いように思います。つまり、実際のところ、ワインを買い求める際、34は必須の要件となっているのです。しかし、検定のようなある種の客観性を担保すべき要件に関して、主観的な34の判定をどのように位置づけ組み込むのかは議論の余地があると言えましょう。その答えは意外に簡単なのですが、それに先立ち、既存の1と2について概要を記しておきましょう。
 
 1の「コンディション判定」に関しては、当協会顧問、戸塚昭先生が監修された『新ワイン学』(ガイアブックス 2018年)の第Ⅳ章の「3 ワインの品質劣化」(240253頁)、さらにテイスティングの方法一般は第Ⅴ章「ワインの唎酒(テイスティング)」(254283頁)を底本とすれば良いかと思います。ここでのポイントは「劣化」には大きく二つのパターンがあるということでしょう。つまり、ワインの作りそのものに問題がある場合(酸化/還元、フェノレ、ビオなどに見られる微生物汚濁、バクテリアによる劣化など)とその後の保管に問題があるものです。後者を一括して「ブショネ」と呼びがちですが、「ブショネ」はあくまでブション(コルク)に問題がある場合(コルクに黴が生じる場合と洗浄液が残存している場合の二種類があることに注意)で、多くは熱劣化(これも高温と低温の二種類があります)、光、振動などによる劣化が運搬、保管時に生じるのです。リーファーワイン協会は正しく作られたワインが「正しく運ばれ、保管された結果」、出荷時と同じ状態で消費者の元に届けられることを推進するものです。そのことを考慮して、1に関しては既存の検定以上にしっかりした能力の育成をカリキュラムに加えるべきでしょう。
 
 2の「地域判定」に関しては、まずは佐藤陽一『ワインテイスティング』(ミュゼ、2009年)をベースにおいてよいでしょう。しかし、すでに述べましたようにあくまでセパージュ判定を念頭に書かれた本ですので、その点は留意すべきです。筆者にはカベルネ・ソーヴィニョンの判定の項で、世界中のヴァラエタルワインの中にポツンとボルドーのシャトー・フューザルが混ざっているのは本末転倒に思われるのです。フューザルはグラーヴの格付けシャトーで、ペパーコーンの『ボルドーワイン第2版』(早川書房、2006年)によれば、ソーヴィニヨンは60%、メルロが33%で、カベルネ・フランが4.5%、プティ・ヴェルドが2.5%と他と一緒に比べて良いのか疑問に思います。ボルドーでカベルネ・ソーヴィニョン100%というワインは基本存在しません。しかも、カリフォルニアの「オーパス・ワン」、トスカーナの「サッシカイア」、チリの「アルマヴィーヴァ」といった世界の銘酒もソーヴィニヨンを主にボルドースタイルの混交になっているのです。とすれば、やはりセパージュではなく、「地域判定」にするべきではないでしょうか。
 
 ここで、123と4を区別する、もう一つの視点を導入しておきたいと思います。1と2の判定は、通常ワインを飲む際の感覚の変遷、視覚→嗅覚→味覚をそのまま踏襲しています。つまり、まず色で判別できる。1であれば、混濁、褐変など。2は佐藤氏の著書がワインの色でセパージュ判定すべく、写真を多用していることからも明らかです。次に嗅覚。1であれば、ブショネ、劣化による異臭、2であれば、白ワインにおける様々な果物の香りのイメージで分類するなど。つまり、12は視覚と嗅覚での判定の割合が多く、味覚と同等程度とさえ言えましょう。それに対し、34はまさに味覚に特化したものと言えます。98点と100点のワインで視覚的、嗅覚的にどれほどの差異があるでしょうか。その2点の差はまさしく味覚にかかっているのではないでしょうか。
 
 さて、「味覚」が「タストヴァン」の最重要要素であることが明確になったことで、件の四種類の「判定」すべての統一原則は何かと申せば、それは筆者が事ある毎に述べてきた「自分の好みを知る」ということに他なりません。「パーカースコア」を考えれば明白です。一般の方はあの点数が「絶対評価」のように思われることでしょう。点数ですからわかりやすい。しかし、あれはあくまでパーカー氏が理想とするワインを100点としたとき何点になるか、つまり、「主観性」に基づく「一貫した」点数化なのです。ですので、ワイン愛好家の方なら、パーカーの点数を見て、産地を確認すれば、だいたいどのような味わいのワインかが想像できるでしょう。そして、自分は好みであるとかないとか、あるいはパーカーが90点くらい付けるワインの方が自分は好きだとか、パーカーを基準に自分の好みのワインを位置づけることができるのです。
 
 これはレストランガイドにおける『ゴー=ミヨ』を連想していただければ明白です。ゴーとミヨは『ミシュラン』とは一線を画した「ヌーヴェル・キュイジーヌ」宣言を行い、その尺度に従って、0.5点きざみの20点満点でレストランを評価したのでした。『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』どちらかだけが正しく他方はまったく間違いだと考える方はいないでしょう。では、何故これらのガイドは信頼されているのか。それはピュドロフスキの言葉を借りれば、どちらも「あなた〔客〕のための代弁者」たるべく評価がなされているからに他なりません。そして、パーカー氏もまた、元々は弁護士で大のワイン愛好家だったのが長じてガイドを出すことになったのです。また、トップクラスのワイン評論家たちは、ヒュー・ジョンソンらがジャーナリスト、マイケル・ブロードベントらがオークショナーと「客=消費者」の側に立つ職業の方々です。ですので、「タストヴァン」は「誰も」がその検定を受ける資格があるのです。
 
 そして、その大原則が「自分の好み」である以上、2はセパージュではなく。「地域判定」になることは明白です。ソーヴィニヨン好きなのでボルドーはメドックしか飲まないという方は極めて珍しいのはないでしょうか。ボルドー好きでどちらかというと左岸のメドックの方が好き、即ち、右岸のメルロ主体のワインよりソーヴィニヨンが主のワインの方が好きというのが自然ではないでしょうか。筆者は、ソーヴィニヨン種が好きというよりはまずは例えば、カリフォニアワインが全般的に好みでその中でもソーヴィニヨンが好きであるというのが真実だと考えます。そうした方にはおそらくボルドーのソーヴィニヨンよりカリフォルニアのソーヴィニヨンの方が好きなのはもとより、それどころかカリフォルニアのメルロの方が好みとおっしゃるのではないでしょうか。それほどまでに同じ品種でも地域によって味は異なるのです。ピノ・ノワールなら何でもよいというのではなく、やはり、例えば、あくまでブルゴーニュでないと、というのが真情でしょう。
 
 自分の好みを知ること。それはあまたある世界のワインを眺望する自分自身の「視点」を獲得することに他なりません。基点が決まらなければ、何も測ることは出来ません。また、それは「基準」を持つことでもあります。「尺度」がなければ、その差異を明確化することは出来ないのです。「タストヴァン」はその最高峰をめざす検定と言えましょう。そして、それはワインを愛する方であれば、誰もがチャレンジすることが出来るのです。
 

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第四十七回
「日本ワイン」の功罪
――その地域特性とは何か?――

 前回、「タストヴァン」検定に際して、筆者の考える審査すべき四つの能力とその統一基盤としての「自身のワインの好み」を知る必要性に関してアウトラインを書かせていただいた。その際、とりわけ議論になり得るのは第二の地域判定であろうことを指摘しました。現行のソムリエ試験では地域ではなく、セパージュ判定になっているからです。そして、会員用で、スーパーのワイン売り場がこの影響でセパージュ別になっていることから実際に起こっている弊害を示しました。要約しますと、セパージュとして提示されているのが、カベルネ・ソーヴィニヨン、ピノ・ノワール、メルロ、シラーの四種だけであとは「ブレンド、その他」と十羽一絡げになってしまっていること。結果、サンジョヴェーゼもなければ、テンプラニーニョもないので、イタリアワイン、スペインワインの表記もなくなってしまっていること。また、ソーヴィニヨン、メルロ、ブレンドのどれにもボルドーワインが配置されていましたが、ボルドーワインは原則ブレンドなので、正確を期せば、少なくとも筆者の調べた棚のボルドーはすべてブレンドに該当することになりました。さらに、スーパーの棚は3000円がだいたい上限ですのでそこに置かれている元々の地域のワイン、とりわけピノ・ノワールのブルゴーニュは安ワインになってしまい、飲めたものでない。しかし、本来、ピノ・ノワールの最上型はブルゴーニュであることをワインに携わる者であれば誰もが認めるのではないでしょうか。
 
 セパージュ判定の普遍化の間違いは、その前提として、ボルドー、ブルゴーニュ、ローヌといった地域特性をすでに知っている必要性があるということです。本来はこういう味わいだが、ヴァラエタルさらにはワールドワインになるとセパージュ別に共通点はこうなるのだという認識です。従って、一般のワイン購入者にまずセパージュを覚えよ、あるいはセパージュ別にワインを選べというのは本末転倒、これを「論点先取の誤謬」と論理学では申します。
そして、ここからが今回の論点なのですが、地域判定を良しとする場合、「日本ワイン」をどう捉えるかが問題となりそうです。件のスーパーの棚には上記のワインとは別に「国産ワイン」の棚があります。ここでのスーパーはさすがに正しい表記で、「日本ワイン」と「国産ワイン」は外延が異なります。実際、四段ある棚の上二段はほとんどが「日本ワイン」、下二段は「国産ワイン」、しかも懐かしい「ボンマルシェ」や「デリカメゾン」の類です。筆者が子供の頃の日本のワインと言えば、これらの銘柄がテレビで盛んにコマーシャルさえていました。しかし、これらのワインは外国からの安ワインに日本産のワインをブレンドしたり、外国から輸入した葡萄の濃縮果汁を日本でアルコール発酵させて作っていたのです。とりわけ後者は果汁ですと酒税がかかりませんので安価で済み、もてはやされました。これらは「国産ワイン」と称されたのです。当時のフランスの一番ランクが下のテーブルワイン即ち「ターブルヴァン」でさえ、フランス産の葡萄のみを使うことが決められていました。ところが日本の「国産」ワインは原料が外国産でも問題なし。つまり、「国産」は原料ではなく、お酒=製品にする場所が日本なので「国産」だったのです。
 
 それに対抗して、葡萄から日本で作る純国産のワイン作りを推奨したのがメルシャンにいた麻井宇介氏(1930~2002)でした。彼の生前最後の著書、『ワイン作りの思想』(中公新書、2001年)に関してはこの連載でも取り上げました。「現代日本ワインの父」と呼ばれる麻井氏の薫陶を受けた作り手たちの活躍もあって、現在、純国産の葡萄を使ったワインを「日本ワイン」と呼び、「国産ワイン」と差別化しているのです。そして、「日本ワイン」は「ビオワイン」に続く、日本のワイン界の一大ブームとなったのです。しかし、この「日本ワイン」ブームというのが正直、胡散臭い。何故なら、筆者の説く「地域判定」とはその地域特有の葡萄品種に着目することです。では、「日本ワイン」特有の葡萄品種とは何かという疑問が生じてくる訳です。
 
 筆者の考える「地域特性」とは伝統文化的なものでもあります。つまり、日本は穀物酒の文化であって、フランスのような果実酒の文化とは異なる。ワインではなく「日本酒」。蒸留酒もブランデーではなく「焼酎」といった具合に。ですので、「日本酒」がブームとなり、パリのグランメゾンで「日本酒」がワインと一緒に供されることには納得がいきます。しかし、ブームとなっている「日本ワイン」とはどんな葡萄品種のワインなのでしょう。筆者が納得できそうなのは、世界的に表記が認められた「甲州」ですがどうもそうではなさそうなのです。
 
 ちなみに筆者の考える「日本ワイン」はあのスーパーの棚こそ典型的でふさわしいと思われます。上限は2000円。一番高いのがサントリーの「ジャパン・プレミアム メルロ」。以下、メルシャンが「藍茜」(メルロとマスカット・ベリーA)と「山梨甲州」。白百合醸造の「ロリアン勝沼甲州」、勝沼醸造の「甲州ヴィンテージ」、アルプスワインの「信州コンコード」、「完熟 巨峰」、山形の朝日町ワイン「山形マスカット・ベリーA」、「山形ナイヤガラ」、「山形デラウエア」、北海道ワイン「おたるキャンベルアーリ」、「おたるナイヤガラ」等々。例外が皮肉にも一番高いメルロでこれはボルドー品種。あとは赤がコンコード、マスカット・ベリーA、巨峰、キャンベルアーリ。白が甲州を筆頭に、ナイヤガラ、デラウエアと日本になじみ深い品種ばかり。地域も大手メーカーに加え、山梨、長野だけでなく、北海道、山形のワイナリーも置く奮闘ぶり。ただし、これらのワインがあの「日本ワイン」ブームの立役者かと言えば、そんな訳ないと誰もがそう思うでしょう。
 
 ここでまず、正しき「日本ワイン」の例を挙げてみたいと思います。ポイントは「ブーム」というより「正しき=あるべき」というニュアンスです。それは昨年、RWA顧問、戸塚昭先生監修の『新ワイン学』出版記念パーティーで著者の方々から提供された数々の「日本ワイン」です。著者の先生方は日本を代表する大手酒造メーカーのエノログの方たちで、自社自慢の「日本ワイン」をお持ち下さいました。そんな中でサントリー一社だけが、日本ワイン二種類に対し、ボルドーに所有するシャトー・ラグランジュのメイン、セカンド、白の三種さらに正規インポーターを務めるシャンパーニュのロラン=ペリエとフランスワインを四本持参されました。筆者はサントリーが1983年、状態の悪かったサン=ジュリアンの格付け第三級のラグランジュを買収し、前記のメルシャンの麻井氏と並ぶ日本を代表するエノログ鈴田健二氏(1944~2009)が見事に再建し、現在に至るまで三級に相応しいワインを作り続けていることこそ、日本が世界に対し誇れるワインに関する偉大な貢献であると考えています。そして実際、新生ラグランジュ最初のグッドヴィンテージである1985年物をコレクションしております。つまり、ボルドー品種でワインを作るなら、やはりボルドーで作るのが正道ではないでしょうか。実際、近年、ルー・デュモンの仲田晃司氏やシャントレーヴの栗山朋子氏など、ブルゴーニュでワイン作りをしている日本人の優れた醸造家が多くなって参りました。ボルドーはシャトー経営に莫大な費用がかかるので大富豪か大企業でないと手が出せませんが、ブルゴーニュは代々続く農家が基本ですので個人でも起業が可能なのです。
 
 しかし、フランスに留学されたエノログの一部の方には、「正しき日本ワイン」もフランスワインに範を取り、それに匹敵するものでなければならないとお考え方もいらっしゃるようで。件の出版記念パーティーにお持ちいただいたワイン、数社の中で甲州は一種類だけ、シャルドネは五種類、赤はマスカット・ベリーAが健闘するもののソーヴィニヨン、メルロが中心。筆者はサドヤの「シャトー・ブリヤン」を初めてテイスティングさせていただきました。ソーヴィニヨン100%ということでそういった意味ではボルドー特有の複雑さには若干欠けるものの老舗らしく格調高い出来に感心しました。ただ、価格が一万円と聞き、さらにビックリ。しかし、それ以上に見事なワインを見つけたのです。それはメルシャンの「椀子オムニス」2015年でした。エチケットも和紙でブテイユも重厚。見るからに高級感にあふれているのですが、飲んでみて納得。厚みもあるし、タンニンも豊富。ただ、まろやかさが感じられたのでメルロ中心だと思い、調べるとメルロ42%、フラン40%、ソーヴィニヨン18%とサンテミリオン系のセパージュ。メルロとフランが同率でソーヴィニヨンが補助というのはフィジャック辺りを連想させます。会に参加下さった筆者のワイン仲間でボルドー愛好家のS弁護士もこれはボルドーと遜色ないと褒めておられた。ただ、価格が1万5000円と聞き、「それだったらラグランジュが二本買えるのでそちらの方がよかろう」と正鵠を射たご意見。
 
 しかし、何より勉強になったのは戸塚先生がこれらのワインも試飲され、何がベストですかとお聞きすると、挙げられたのがマンズワインの「ソラリス 信州カベルネ・ソーヴィニヨン」2015年だったことです。その際、「食事に合うのはこれが一番」とおっしゃったのも興味深い。ボルドーの葡萄品種ながら単品で作られるのはヴァラエタルワイン、即ちニューワールドに見られる傾向で、「日本ワイン」はカリフォルニアやチリ、オセアニアと同列に置かれています。また、確かにニュートラルなその作りはソーヴィニヨンという葡萄のワイン化の手本のような存在で、セパージュ別、ソーヴィニヨン単品のワインを世界中から集めて最もソーヴィニヨンっぽいのはこのソラリスかもと思わざるを得ません。ただ、価格は5000円で、「日本ワイン」は5000円以上出さないととりわけ赤は無理という指針(maxime)にも適合しています。
 
 結局のところ、「日本ワイン」は日本固有の葡萄品種より(甲州は例外として)、やはりフランスワインの葡萄品種のヴァラエタルワインを極めることが正しき在り方と考えられているようです。そしてそれは筆者の考える「地域判定・判別」とは異なったこととお考えいただければ幸いです。しかし、「ブーム」となっている「日本ワイン」は「シャトー・ブリヤン」や「椀子」でもありません。ある種の「カルトワイン」化した日本ワインブーム。これはもっと深刻な問題です。その典型例として、あの麻井氏の薫陶を受けた「ウスケボーイズ」たちのワインが挙げられるでしょう。この件に関しては会員用で、ある種のフランスワインコンプレックスとの関係で論じてみたいと思います。
 

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第四十八回
ワインの正三角形
――タストヴァンとキャヴィストの関係――

 リーファーワイン協会では「タストヴァン」の他にもう一つ「キャヴィスト」検定も検討中です。「キャヴィスト」とは何かを定義するのは、とりわけ日本においては複雑な事情があり、この後論じて行こうと思っております。ただ、まずはリーファーワイン協会がコンディションの良いワインの普及をモットーにしていることからも、「キャヴィスト」とは「広い意味で」、ワインの品質管理を行なう者とお考えいただければ良いかと思います。そして、実はすでに筆者の連載の第一回「レストランの正三角形」で、キャヴィストの名は登場しているのです。ここではレストランにおけるワイン担当者をソムリエではなく「キャヴィスト」とし、「ソムリエ」を何処に位置づけるべきかがその次の回で「飲み物全般を担当するセルヴィス」と定義されるに至っています。
 
 つまり、「レストランの正三角形」は
 

 
 このような関係性になっていると言えましょう。セルヴィスに二種類あるのはその起源の王に対する食の担当者がエキュイエ(肉を切る者、料理担当)とエシャンソン(飲み物注ぐ者)に分担されていたからです。
そして、「タストヴァン」を考察するに際し、この正三角形を「ワインの正三角形」に応用できないと思いついたのです。即ち、
 

 
 つまり、ワインには三種類のスペシャリストが存在するということ。ワインを作る「エノログ」。サーヴィスのプロ「ソムリエ」そして、ワインの保管管理人「キャヴィスト」です。しかし、本当は第四の専門家「ワイン批評家」がいることを忘れてはいけません。例えば、パーカーのようにワインを百点満点で評価し、消費者のみでなく、他の三種のスペシャリスト達にも影響力を持つ者。ただし、パーカーは厳密にはプロではなく、本職は弁護士、ワイン愛好家が嵩じて批評家になったのです。従って、ワイン批評家その背後にあるワイン愛好家、ひいてはワイン消費者をどのように位置づけるかが課題になっているのも事実です。そして、それは「レストランの正三角形」における「美食批評家」についても同様ということが出来るでしょう。
 
 ここで「キャヴィスト」をさらに三つに区分してみたいと思います。まず、「レストランの正三角形」にある「キャヴィスト」。高級レストランなどで「ワインの在庫管理」を専門に行なう裏方的存在。ただし、新たに購入するワインの選定、ワインリストの作成などワインに関する全権を委託されていると言えましょう。極端な表現を用いれば、ソムリエはキャヴィストの選んだワインをただサーヴィスするに過ぎないということになります。こうしたキャヴィストのいる店はパリ五区の老舗「トゥール・ダルジャン」などごく少数になっているのが現状です。また、ホテルには「宿泊部」に対する「料飲部」があり、さらに「料」の「調理部門」と「飲」の「サーヴィス部門」に分かれています。これはまさしくエキュイエとエシャンソンの伝統に従うものですが、出世するとホテル全体の飲み物の受注管理を任される方がいらっしゃいます。筆者は某有名ホテルの「料飲部 副部長」の肩書をお持ちの方に紹介された際、そのようなお仕事をされていることをお聞きしました。しかし、これは筆者の言うソムリエは飲み物全般のサーヴィスのプロ「ボワソニエ」の責任ある地位と考えるのが妥当と言えましょう。
 
 次にフランス、イタリアなどに存在する「職業キャヴィスト(cavistes professionelles)」組合で用いられる「キャヴィスト」です。フランスの組合は全土1250の酒販販売店が加盟。うち、380が自営とのこと。つまり、ここで言われる「キャヴィスト」とは、平たく言えば「ワインショップ」=「ワイン専門店」という意味です。実際、ピュドロフスキの『ピュドロパリ』でも「キャヴィスト」の項があり、一区の「ラヴィニア」といった大手から店主こだわりの銘酒揃いの小規模店までリストアップされています。ここで、フランスにおける個人商店が基本的に「専門店」であることを想起する必要があります。例えば、書店というのは「フナック」といった電化製品なども扱う大手のチェーン店以外は専門書店、つまり料理書なら「リブレリー・グルマンド」、映画なら「シネドク」、フェミニズムなら「女性書店」といったように個人店は専門書で勝負しているのです。酒屋である「キャヴィスト」も同様で、『ピュドロパリ』を読めば、それぞれの店がこのご時世「ビオ」が中心であるとか、ボルドー・ブルゴーニュの王道が充実とか、ウィスキーやリキュールが豊富、近年のフランス人の若者のビールブームを受けて、ビールの専門店も掲載されています。
 
 ここで筆者が四半世紀前のパリでの海外研究時代驚いたことに、「ニコラ」というワインショップがパリの街のそこいら中にあったことがあります。今でもコンビニがほとんど皆無に近いパリの街ですから、街のあちこちに同じ看板の小さな酒屋が点在するのは不思議としか言いようがありません。筆者はこれを「犬も歩けばニコラに当たる」と呼んでいました。一八二二年創業でマドレーヌ広場やオペラ・ガルニエなどに大型店舗があるのですが、街角の「ニコラ」はフランチャイズのようなものらしく、どの店に入ってもクセの強そうな店主がいるのです。何処の店にも置いてあるボルドーやブルゴーニュの銘酒はどうもニコラのものではないか、と。しかし、当時は樽からの量り売りや店主自身が万年筆で書いたエチケットを貼ったブテイユなど、日常使いのワインを近くに住む人々が買いに来ていました。これらはおそらく店主自身が別の所から仕入れて来たものでしょう。ここがそれぞれの街角ニコラの違いで、すぐ近くにあっても商売が成り立っていたのではないか、と。
 
 このようにいわゆる酒屋も目利きが必要で、実際に日本でも、横浜君嶋屋をはじめ、ロラン・ピヨやシャンタル・レスキュールなどブルゴーニュの銘酒を輸入する川口の三幸蓮見商店(蓮見ワイン)といったインポーターを兼ねる酒屋が存在します。また、前回の日本ワインに関して書きましたように、入手困難なドメイヌ・ソガ(小布施ワイナリー)は元々酒蔵だったので、買えるのが昔から付き合いのある全国のワインに明るい酒屋が中心である事実も忘れてはならないでしょう。
 
 しかし、日本において「キャヴィスト」と言えば、何よりもワインを管理保管する「倉庫」で日夜ワインと格闘してる人々ではないでしょうか。インポーターは輸入はするもののワインは倉庫に預けます。そして、注文が入ると倉庫に連絡が行き、倉庫の担当者が当該のワインを探し発送する。その際の検品や返品の対応もすべて倉庫の方たちの仕事です。また、最近では月島倉庫のように個人のワインの保管もビジネスとして展開している倉庫会社もあります。つまり、日本に輸入されたワインは倉庫に保管されている訳で、そこでの管理状況によって、熱劣化が生じる可能性があるのです。それは高温だけでなく、低温劣化もあることに留意すべきです。倉庫に保管されているワインがワインショップ、レストラン、個人宅に配送されるのですからその責任は重大です。これはワイン「輸入国」ならではの在り方と言えるでしょう。
 
 このように「キャヴィスト」と一言で言っても実は少なくとも三つの職種を考えなければなりません。さらに、すでにお気づきと思われますが「インポーター(輸入業者)」はワインの正三角形の何処に位置づけるべきなのでしょうか。これもまた、ワイン輸入国ならではの事情です。それはまず、大手酒造・醸造メーカーに集約されていました。つまり、作り手のところでワインを輸入していたのです。その象徴的出来事がサントリーによるシャトー・ラグランジュの所有でした。筆者がボルドーワインを本格的に学び始めた一九九〇年代初め、大阪に所用がある度、堂島のサントリー本社の地下にあるカーヴに必ず立ち寄り、12本は買って帰ったものです。サントリーはカルヴェ社、サッポロはコルディエ社、キリンはバストン・エ・ゲスティエ社、アサヒはシュレーダー・エ・シーラー社といったネゴシアンと提携しワインを輸入。また、キッコーマンがボリ・マヌー社でシャトー・ラトゥールの正規輸入代理店もあったのです。ところが近年は先述の蓮見ワインのような街の酒屋(その成功例が静岡に本店のあるヴィノスやまざき)やオーストラリア人と日本人の夫妻がオーストラリアワインを普及すべく始めた富山県氷見市のヴィレッジ・セラーズなど、小規模で専門性の高いインポーターが多数存在している状況へと変化しています。
 
 ここで注目すべきはソムリエ協会の資格が最近、それまでの三種類から二種類に縮約されたことです。つまり、それまでは「ソムリエ」の他に、酒販店の「ワイン・アドヴァイザー」、さらに一般の「ワイン・エキスパート」だったのを、アドヴァイザーを「ソムリエ」に統合してしまったのです。これは「ワインの正三角形」で言えば、
 

 
といった図式への変更と言えるのではないでしょうか。
 
 しかし、問題は果たして「キャヴィスト」は本当に「ソムリエ」へと統合され得るのか、ということでしょう。キャヴィストを酒屋だけと解釈すれば、どちらも「接客」として理解することが出来ます。しかし、「キャヴィスト」に倉庫で働く方たちも含めれば、いわば「裏方」である限り「接客」では理解できません。また、ソムリエへの一元化はインポーターをも包含すべきでしょうがこれにも無理があるかと思います。
 
 逆に、先のヴィレッジ・セラーズのようにワイン愛好家がインポーターに転身したり、また倉庫の方々が返品・検品などを行われているのは「カスタマー・サーヴィス」、即ち、消費者に寄り添う仕事をされている訳です。さらに、渋谷の松濤町だったと思いますが、ワイン愛好家のため住民のワインセラーを完備したマンションが存在します。そこにはまさに「キャヴィスト」が常駐し、ワインの管理を行っているのです。このように、キャヴィスト(インポーターも含め)は「消費者」に近いのではないでしょうか。酒屋も本来はまさに「アドヴァイザー」という名に明らかなように「消費者」に助言する、あくまで「消費者」の立場に立ってワインを選ぶ役割を果たす者ではなかったでしょうか。
 
 ですので、やはり「ワインの正三角形」は「キャヴィスト」と「ソムリエ」をそれぞれ項に立てた筆者の最初に提示した図式で良いのではないかと思うのです。しかし、その場合、消費者が第四項として残ってしまうのも事実です。そこで「キャヴィスト」を「ソムリエ」に統合するのではなく、「インポーター」と共に「消費者」に統合することで正三角形を考えることも可能かと思います。即ち、
 

 
 こうしますと、「レストランの正三角形」も「客」を項の一つとし、
 

        
 とヴァリエーションを作ることが出来るかと思われます。
 
 こうして、「タストヴァン」と「キャヴィスト」の両資格は密接な関係があると考えられるのです。
 

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第四十九回
ワインにおける「人となり」
――『神の雫』を例に――

 先日、日本ワインの問題点について書かせていただきました。それは次の二点に集約されると言ってよいでしょう。
 
 まず、真に日本ワインの独自性を主張するのなら、日本に自生している葡萄品種、例えば「甲州」などから逸品を造ることを考えればよいのに、何故か、カベルネ・ソーヴィニヨンとかピノ・ノワールといったフランスワインの王道の葡萄品種からワインを作ることに情熱を注ぐのはいかがなものだろうか、ということ。現在の日本ワインのパイオニアともいえる麻井宇介氏がピノ・ノワールは向いていないと助言すると弟子の「ウスケボーイズ」たちは何とかピノ・ノワールで良いワインを作ろうと必死に頑張る。それは果たして在るべき「日本ワイン」の姿であろうか、疑問に思わざるを得ません。
 
 例えば、シャンパーニュ地方はブルゴーニュと同じピノ・ノワールとシャルドネが主要葡萄品種です。スティルワインではブルゴーニュにかなわないと悟ったシャンパーニュ地方の人々は別の葡萄を植え、ブルゴーニュとの競合を回避しようとしたでしょうか。否、同じ葡萄から別の手法で造る銘酒を開発し、ブルゴーニュと住み分けを図ったのです。それが発泡酒のシャンパーニュでした。
 
 確かに日本はワイン(果実酒)文化ではなく、穀物酒(日本酒・焼酎)文化ですので歴史的にワイン用の葡萄が存在しなかった。ですので、日本の気候に適した伝統的ワイン用の葡萄がきっと在るに違いない。しかし、ここにはある種の矛盾があります。そもそも、文化とはその風土にあったものが長年培われていくものです。とすれば、日本は穀物酒文化である限り、カベルネやピノといったヨーロッパの葡萄に適した風土ではない。適していれば、ワインを作っていたはずです。
 
 このねじれた事情には、「日本ワイン」ブームの背景にその前の「自然派(ビオ)ワイン」ブームがあり、さらにそれに先立つ「南仏ワイン」ブームがあるというトレンドの変遷が関係あると筆者は考えます。『ブルータス』など日本のワインブームを牽引したメディアは当然の如く、まずオーソドックスなボルドー、ブルゴーニュ、イタリア、スペインといった王道のワインを紹介していきました。さて、次に何を流行らせるか、残されたフランスのワイン産地の代表的ローヌ、そしてその広域といえる南仏を推したのです。シラー、グルナッシュ、カリニャンといったよく言えば「スパイシーな」悪く言えば「癖のある」葡萄品種からなるそのワインはスタイリッシュなボルドーやブルゴーニュと比べ、野性味あふれるパワフルなワインと言えるでしょう。しかし、何せブランド力がイマイチ。そこで「ビオ」を売りにしたのです。今でこそ、ボルドーやブルゴーニュでもビオを謳うのは当たり前になっていますが、当初、この二大産地でビオを実践していた作り手はいたのですがわざわざ「ビオ」などと声高にアピールすることはありませんでした。そのいい例が、『神の雫』で一躍脚光を浴びることになったボルドーの「シャトー・ル・ピュイ」です。「ル・ピュイ」についてはこの後、第二の問題点「人となり」で言及することになります。そして、「ビオ」がブームからワインの在るべき当然のスタイルの一つとして常態化した後、次のトレンドを仕掛けるべき登場したのが「日本ワイン」でした。というのも、ビオワインは酸化防止剤などを用いませんので、当初は「フランスでしか味わえない」などと矛盾した記事が雑誌に載っていたくらいデリケートなものです。従って、いくら輸送にリーファーを用いたとしても極東の地への長旅の間にダメージを受けていないとは言えません。また、本当に農薬など一切使っていないのか疑う訳ではありませんが、こういう時は「国産」に限ると考えるのは世の常と言えましょう。そして、当然の如く、「ウスケボーイズ」たちもビオの実践者であり、その中で最も徹底しているのが「涙無くしては飲めない」ボー・ペイサージュのワインであり、その希少価値から数万円で取引される事態になっているのです。
 
 ここにまさに第二の問題点、メディアによるブームの創出や映画化された『ウスケボーイズ』に象徴されるある種の人間ドラマへの敷衍といった付帯状況が、ワインそのものの評価を歪めることになりはしないか、ということがあります。筆者の説く、「タストヴァン」は評者の「好み」に基づくという点ではある種主観的であるものの、あくまでワインの「味わい」のみを客観的に評価・批評する点で余分な情報に惑わされることはあってはならないと考えるのです。
 
 これは例えば、ベートーヴェンの楽曲演奏の問題に置き換えることが出来るでしょう。ちなみに今年はかのベートーヴェンの生誕二百五十年にあたり、演奏会はコロナ禍で軒並み中止になってしまいましたが、多くのCDが発売されています。ご存知のように、ベートーヴェンは聴覚を失いながら、後世に残る傑作を書いたのでした。しかし、その作品そのものは耳が聞こえないのにそれだけの作品を書いたので評価されているのでしょうか。そうではありません。耳が聞こえていようといまいとベートーヴェン書いた作品(スコア)そのものが素晴らしいからなのではないでしょうか。もちろん、演奏家たちは「アナリーゼ(楽曲分析)」といって作品の書かれた時代背景や作曲者の「人となり」を踏まえて演奏に臨みます(例えば、聴覚障害のゆえに、楽器の音域はわかるものの声楽の音域に無理があると言われています)。しかし、一方でアーティストたちが解釈するのはあくまでスコア(楽譜)であり、何の予断なしにスコアに対峙しなくてはならないのも事実です。ワインも同じく、作り手がどれほど苦労して作っていようとも、そのワインが傑出して美味しいか否か、それはまた別の問題です。しかし人は得てして、そうした苦労話などが大々的に吹聴されるとそれに感化されて、肝心のワインの鑑定の目が曇ってしまうものです。
 
 そうした例として、先述した『神の雫』を取り上げてみましょう。申し訳ありませんが筆者は漫画を読む習慣がありませんので、自分が拝見したのは原作ではなく、ジャニーズのKAT-TUNの亀梨和也さんが主演された2009年のテレビドラマの方です。内容としては、著名なワイン評論家を父に持つ青年が、父の急逝を機に、こじれていた親子関係を修復し、立派な大人に成長していくというよくあるストーリーです。それは「神の雫」と父が評した究極のワインを見つけ出す作業なのですが、そのプロセスとして「使徒」と呼ばれる銘酒を父の書き残したワイン評から探し出さないと先に進めません。この使徒は原作では全部で十二あるとのことですが、ドラマでは一部しか登場しませんでした。そして、その使徒を見れば、原作者はかなりのワイン通で趣味の良いワイン選びがなされていることがわかります。そして、その際興味深いのは「文章」からワインを見つけ出さなければならないことです。そして、その文章はまさに文学的表現に終始し、例えば、第二の使徒の冒頭は「このワインは『モナ・リザ』である」。つまり、セパージュが書いてあるわけでもなく、その後、二枚の絵の比較が延々と語られ、右の絵は力強いがまだ若く、左の絵は「完成された柔らかさと慈しみが溢れ」、結論として「私が愛するのは左の絵だ」、と終わるのです。主人公は苦労しつつ見事にそのワインにたどり着くのですが、ヴィンテージを間違えてしまったのです。果たしてその正解はイタリアワインではなく、ボルドーの第三級格付けワイン、アペラシオンはマルゴーの「シャトー・パルメ」1999年、主人公は2000年と答え、対戦相手に惜敗したのです。
 
 ワイン好きの方はもうお気づきでしょうが、パルメが左側の絵とすれば、右側の絵は間違いなくかのシャトー・マルゴーになるのです。後付けの推論は以下の通り。モナ・リザは西洋美術史を代表する女性の肖像画。ワインの王がブルゴーニュに対し、女王がボルドー。つまり、これはボルドーワインであり、しかもボルドーの中でさらに女性的なアペラシオンはマルゴーというのが常識。とすれば、マルゴーを代表するシャトーはまず、メドックの五大シャトーの一つ、シャトー・マルゴー。そして次に思い浮かぶのがシャトー・パルメ。この二つのシャトーを比べれば、優美なのはパルメで偉大なのがマルゴー。つまり、柔らかいのはパルメの方。テイスティングが放送時2009年とすれば、2000年はグレイトヴィンテージ故、パルメもまだ飲み頃とは言えないでしょう。それに対し、普通の出来だった1999年であれば、パルメは飲み頃を迎え、マルゴーはまだまだ熟成が必要という状況に。従って、2000年ではなく、1999年が正解となるでしょう。
 
 ここでの肝は誰もが知るブランドワインではなく、二番手クラスのワインが選ばれていることです。知る人ぞ知るという訳ではありませんが、ある程度ボルドーに精通していないと導き出せません。これはすべての使徒に言えることで、第四の使徒は同じボルドーでもメドックとはスタイルの異なる右岸、メルロ主体のポムロールのシャトー・ラフルールだったのですが、ポムロールと言えば、ボルドーの最高峰の一つ、シャトー・ペトリュスがすぐに思い浮かぶはずです。と言っても、パルメ1999年は現在7万円ほどですし、ラフルールは最近のものでも7万円からになります。もちろん、マルゴーやペトリュスは桁が一つ違いますがいずれにせよどの使徒も誰もが認める名酒と言われている銘柄です。
 
 問題は究極の「神の雫」が「シャトー・ル・ピュイ」2003年だったことです。筆者はこれを見て、驚きと共にガッカリしました。まあ、使徒に一捻り加えてワイン通を任じている以上、「ロマネ・コンティ」というのは余りにもベタで「神の雫」ではないとは思いましたが、さすがにル・ピュイはないだろう、と。ル・ピュイはボルドーの右岸、アペラシオンはコート・ド・フランにあるシャトーです。この地区はペパーコーンの『ボルドーワイン』(早川書房)では小さなアペラシオンとして最後の最後に、たった七行だけ記述があるのみ。代表的シャトーはポムロールのル・パンなどを所有するティアンポン一族の営むシャトー・ピュイゲローで、他に四シャトーの名が列挙されているもののル・ピュイの名は見当たりません。では、日本に入っていなかったと言えばそうでもなく、筆者は何回か飲んだことがあります。まだ、ネットなどなく、デパートのワイン売り場が盛況だった1990年代、1980円のボルドーのラインナップに入っていました。まあ、当時はポムロールでも無名のシャトーは1980円がありましたので格段に安い訳でもありませんでした。現在は4000円くらいのようです。もちろん、特別なキュヴェも何種類かあり、数万するものもあるようです。看板は4000円もので飲んだ印象としては、ピュイゲローやシャトー・フランなどがモダンに仕上げようとしていたのに対し、素朴な味わいだったことくらいでしょうか。突出して優れたワインであるという記憶はありません。
 
 では、何故そのような無名のシャトーが「神の雫」なのでしょうか。それこそが「人となり」、このシャトーは1610年の創業。同じアモロー家が代々守り続けてきたシャトーの歴史は四百年を超えるのです。しかも、創業以来、無農薬でワイン作り続けている。まさに「ビオワイン」の聖地とも言うべき場所。60haの敷地中、葡萄を植えているのは38haのみ。あとは生態系を残して、自然の力をワイン作りに最大限に生かそうとの試み。この畑を独立したAOCとして登録しようという活動も行われていて、実現すれば、ボルドー初の「モノポール(単独畑)」になるとか。
 
 こうした情報は確かにシャトー・ル・ピュイがまさにユニークな=唯一無二のシャトーであることを示していると思いますが、だからと言って、ル・ピュイがボルドーの最高峰、いや「神の雫」である限りワインの中のワイン、ロマネ・コンティさえ凌駕するものであることを示しているでしょうか。実はロマネ・コンティもビオワインなのであって、マダム・ルロワ、急逝されたアンリ=フレデリック・ロックといった歴代の所有者は皆、自然派ワインの推奨者で、ロック氏のブランド「プリウレ・ロック」はビオワインを代表する高級銘柄として有名です。つまり、ロマネ・コンティはビオであることをあえて喧伝しなくとも銘酒に他ならないのです。
 
 つまり、この「神の雫」に至るプロセスの問題点は「使徒」では通常のテイスティングで評価されている銘酒を選択しながら、「神の雫」に関しては「ビオワイン至上主義」的な尺度で評価してしまっている。つまり、評価基準がダブルスタンダードになってしまっていることにあると言えましょう。これは当時のビオワインブームに感化されてしまったからなのかは不明ですがいずれにせよ、ワインの評価はあくまで一貫してそのワインの「味わい」に対して行われるべきであり、筆者はそれを「タストヴァン」として確立したいと考える次第です。
 もちろん、ワインにおける「人となり」はまったく無意味なのではなく、ブルゴーニュでは作り手が必ず問われることになりますし、事情はさらに複雑です。そこで引き続き『神の雫』を例に、会員用で分析を試みたいと思います。
 

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第五十回
Zoomによるワイン会体験
――ボルドーとブルゴーニュ――

 先日、筆者のコアなワイン仲間のS弁護士から、Zoomのワイン会を行なうので参加しませんかとの誘いを受けました。S弁護士は不定期ながら、二~三カ月に一度はご自身の弁護士事務所で六名から八名くらいのワイン会を開いて下さって来ました。各自ワイン一本持参、つまみはS弁護士がケータリングを取ってご馳走して下さるというサーヴィスぶり。彼はボルドー愛好家ですので自然とボルドーワイン持参が暗黙の了解になっています。が、時に初めて参加した方がそれを知らずに他のワインを持参されることも。これもまた、一興という実に大人のワイン会です。常連メンバーはS弁護士に社会労務士のW氏。この方も大のワインラヴァー。あと、アッと驚くスクープで有名な某雑誌の記者から本の編集者になられたI氏。この方は顔が広く、若手落語家のホープの一人O師匠を良くお連れ下さいます。そして、筆者でしょうか。今年の事務所でのワイン会は二月に行われたのが最後。これもギリギリといった感じです。また、三月に筆者のHPワイン会を東麻布のイタリアンを貸し切りで行ないましたが、緊急事態宣言発布前夜で定員の半数の方がキャンセルされたにもかかわらず、S弁護士は律義に参加下さいました。毎年、六月に行なわれる恒例の伊香保温泉ホテル木暮での(泊りがけでワインを飲むという)ワイン合宿も中止に。ですので、半年ぶりに連絡を取り合ったことになります。
 
 では、どのような形で行なうのか、S弁護士に尋ねてみると、各自ワインを用意するのではなく、同じワインを購入して飲むことにしたい、と。リーズナブルなものを二本用意するように。そして、そのワインの選定を筆者に行なって欲しいとのこと。このアイディア、なかなか素晴らしいと思いました。テレビなどで各自好きなお酒を飲みながら、話に花を咲かせるような番組をこのコロナ禍でよく見かけます。確かにそれも楽しそう。各自自分の飲みたいワインを飲んでそのワインについて語り合う。しかし、通常なら事務所で行われるはずのワイン会のZoomヴァージョンだとしたらどうでしょう。各自持ち寄ったワインを皆で「分かち合い」、同じワインを飲みながらそのワインについて各自が「語り合う」。この場合の「語り合い」は共通認識に基づいています。それをオンラインで行なうなら、手元に同じワインを揃えるのは必然。各自バラバラのワインを飲みながら語り合うのは、あくまで飲んでいる方の感想を聞き合うだけであって、カメラの向こうの方が飲まれているワインを一緒に味わっていない以上、「分かち合い」がないのです。もちろん、想像力を働かせて、他の方の飲まれているワインに思いを馳せるのも一興かもしれません。しかし、この分かち合いを大切にしているワイン会の「代替」である以上、S弁護士の出された条件はさすが、最適といえましょう。
 
 さて、大役を仰せつかった筆者としては何に心がければ良いのでしょうか。確かに、通常なら各自一本持参して六名なら六種類のワインを飲み比べできるので、オンラインでは皆で一本は寂しい気がします。かといって、いつもは一本買えば済むのですから、S弁護士の言う「リーズナブル」なものを「二本」という条件は当を得ています。この場合、通常皆さんが持参されるワインの価格で二本買う(例えば、5000円としたら、2500円を二本)というのが基準でしょう。ただし、二本のうち少なくとも一本は「ボルドー」であることがこのワイン会では必須と筆者は考えます。しかも、通常のワイン会で美味しいボルドーに慣れている方が間違いなく大多数を占めると思われますので、ここは3000円台という設定にしました。2000円台のボルドーですとオー=メドックが順当で、せいぜい村が付く場合でもムーリやリストラックがあるかないか。サンテミリオンの無名シャトーとか。3000円台であれば、何とかメドック格付けワインを産出する村のワイン、サンテミリオンでもグランクリュクラスを見つけることが出来るでしょう。
 
 では、残る一本をどうしましょうか。基本、赤を飲む会ですので白はなし。通常でしたら、ソーヴィニヨン中心のメドックとメルロ中心のリブールヌというボルドーの二つのタイプの飲み分けをするのが順当か、と。しかし、それはいつもやっていることですし、折角なのでここは「ボルドー対ブルゴーニュ」という基本中の基本に戻ってみようかな、と。すべての赤ワインは「ボルドー対ブルゴーニュ」から始まるといって過言ではありません。どちらを好むかによって、ボルドー好きであれば、イタリアワインならトスカーナ、ブルゴーニュ好きならピエモンテと進む方向が明確になります。実際、ブルゴーニュは「ワインの王」、ボルドーが「ワインの女王」と呼ばれています。ただし、ボルドーの方が渋みも強く、重く、フルボディと分類されるのに対し、ブルゴーニュは色も赤く透明で酸が渋みとバランスを取り、ミディアムボディとされるので逆ではないか、とよく言われます。確かにその典拠はどうもはっきりしないようですが、ボルドーには垂直方向に広がり、収斂する内向的な性格があり、ブルゴーニュはグラスがブランデーグラスのようなチューリップ型であることからわかるように揮発性が高く、香りが華やか、アルコール感が水平に広がる外向的な趣があるからではないでしょうか。筆者はこの件について考えるところがありますので、詳しくは会員用で書かせていただくことにします。ここでは、あとフランス語など名詞に性別のある言語では太陽が男性(光=明)、月が女性(闇=暗)であることを鑑みれば、上記の理解はあながち間違いとは言えないでしょう。
 
 さて、問題は3000円台でお目当てのブルゴーニュが買えるかです。ボルドーは村名ワインにしますので、ブルゴーニュもACブルゴーニュではなく、少なくとも村名ワインにしたいのです。すでに何回か言及させていただきましたが、ACブルゴーニュというワインは星の数ほどありしかもまさに玉石混交。その中からこれぞというワインを選ぶのはブルゴーニュを知っている者でないと無理です。しかも、ボルドーに比べブルゴーニュは生産量が少ないのでワインが高価。ACブルゴーニュで3000円が相場です。しかし、ここで逆説的とでも言いましょうか、今回は参加者全員にネットで同じワインを買っていただくことになります。つまり、特定のショップでこの二本のワインを買って下さいとお願いすることになります。すると、そのショップはネットでも大手、そういう店は薄利多売、スーパーマーケットのような原理です。もちろん、理想的に最適な組み合わせを望むなら、別々のショップで買っていただくことになるでしょう。しかし、それは手間がかかりますし、送料がバカになりません(もちろん、クール便ですので)。また、余りマニアックに選ぶと数本買えばワインが売り切れというケースが多々あります(いわゆる掘り出し物)。つまり、数名が確実に同じワインを買えるショップでないといけません。そうした薄利多売の大手のショップから自社輸入しているV社を選びました。そして、実に素晴らしい組み合わせを実現することが出来たのです。
 
 ブルゴーニュは「ボーヌ・プルミエクリュ・レ・テュヴィラン、ベルトラン・ド・ラ・ロンスレ、2013年」、ボルドーは「シャトー・シラン、ACマルゴー、2013年」です。ボーヌの方が若干高かったですが両方とも3000円台です。そしてそう、ヴィンテージも揃えることが出来ました。理科の実験を同じく、ある特定の性質を比べたかったら、なるべく他の性質は同じにして、差異は比べたいものだけにすること。実はこの二本のワインを選んだことによって、筆者は事前に資料として、ペパーコーンの『ボルドーワイン』からメドックの地図とシャトー・シランの解説の頁、ブルゴーニュ全体の地図とボーヌの地図(『地図でみるブルゴーニュワイン』などから)を事前にPDFに落とし、参加者に送っていただきました。するとこの二本のワインから実に多くの情報を得ることが出来ます。
まず、シャトー・シランは格付けこそされていないものの、「クリュ・ブルジョワ・エクセプショネル」、いわゆるブルジョワ級という次のレヴェルのシャトーに分類されます。実はこの下にさらに「クリュ・アルティザン」という級もあり、ほとんどが小規模なシャトーなのですが近年、注目されるようになってきました。また、シランは「ラバルド村」にあります。つまり、メドックの格付けシャトーの村名アペラシオンでマルゴー以外はすべて、単独なのですが(サン=テステフ、ポイヤック、サン=ジュリアン)、マルゴーだけはマルゴー村以外のカントナック、ラバルド、スーサン各村、そしてアルサック村の大部分がマルゴーを名乗れるのです。シャトー・マルゴーはマルゴー村ですが、『神の雫』に登場したシャトー・パルメはカントナック村、同じ第三級のシャトー・ジスクールがラバルド村です。また、ペパーコーンの資料に目を通せば、シランのセパージュがカベルネ・ソーヴィニヨン50%、メルロ30%、プティ・ヴェルド12%、カベルネ・フラン8%であることもわかります。ボルドーワインがブルゴーニュと決定的に異なるのはブルゴーニュがピノ・ノワール100%で作られるのに対し、ボルドーは複数の葡萄の混醸であることです。メドックはソーヴィニヨンが主体であること。シランもその倣いに従っています。しかも、補助品種のプティ・ヴェルドの比率が高いのがわかります。タンニンの強いソーヴィニヨン寄りの品種ですのでしっかりした作りのワインであることが予想されます。また、これは蘊蓄なのですが、シランのオーナー、ミアイユ氏は格付けシャトーに比肩するという自負があり、一時期、ムートンの向こうを張り、エチケットに有名画家の絵を使っていたことがあります。筆者は1982年のミロなど何ヴィンテージか購入し飲みました。ミロはムートンでは1969年で、ミロ好きの筆者、ムートンは現在もコレクションしています。
 
 さて、一方、ボーヌの方ですがこれは随分、お買い得なワインでした。まず、広域のブルゴーニュの中でも黄金の丘という名の銘酒を産出する「コート・ドール」の中心、ボーヌのワインであること。しかも、グラン・クリュに注ぐ、プルミエクリュであり、かつ、畑(クリマ)の名(レ・テュヴィラン)まで限定されています。このクラスですと、筆者が最近レストランで飲んだものでは、シャンタル・レスキュールの「レ・シュワショ」、ヴァンサン・ダンセールの「モントルヴノ」などどれも15000円ほど。小売で半額としても7500円。今回のワインの倍の価格です。価格が安い理由はドメーヌものではなく、樽買いのネゴシアンものだからでしょう。もちろん、クリマが限定されていますので、おそらく単独のドメーヌがネゴシアンに売ったものと考えられます。ブルゴーニュのドメーヌの多くは家族経営など農家の延長ですから、遺産相続、設備投資などの際、現金が必要になり、ネゴシアンに安く現金払いでワインを売ることがあると言われています。これもその一例と思われます。
 
 ブルゴーニュは、北は飛び地のシャブリで有名なヨンヌ県からブルゴーニュ地方の上はディジョンからリヨンに至る大変広域のアペラシオンです。リヨン近くはボージョレになります。その中でもディジョンから50kmほど下ったところまで、赤が中心のニュイと白が有名なボーヌの二地域を「コート・ドール」と言い。ロマネ・コンティをはじめ、白のモンラッシェといった世界最高峰の銘酒を産出する土地なのです。また、赤はピノ・ノワール、白はシャルドネと単品種でワインを作るのも特徴。これらを資料として配布しておいた地図を用いて説明し、 さらにブルゴーニュの各アペラシオンのクリマ(畑)の地図が掲載されている『地図でみるブルゴーニュワイン』からボーヌの地図を資料とすることで「レ・テュヴィラン」の場所も特定できます。
 
 こうして二本のワインを比較試飲しながら、味わいの違いのみならず、両地域の特性なども説明させていただき、充実したワイン会となりました。ただし、実は筆者、ボーヌしか飲んでいないのです。開ける順番としてはヴィンテージが一緒ですので、軽い方から重い方へのセオリーに従い、ブルゴーニュからにしました。それだけでも一人一本飲むのは大変で、筆者のように一人暮らしで家ではワインを飲まない生活をしている者にとって、ボルドーまで開けるのは躊躇いがありました。参加者の半数も同意見で両方開けた方とブルゴーニュだけにされた方が半々になりました。筆者など当日は三分の二ほど飲むのが精一杯で、さらに二日かけて全部飲み切りました。ワインの状態は良く、二日目、三日目も若干酸が立ってきたものの香りはよりかぐわしくなり、飲んでいて嫌なものを感じませんでした。開けた当初のバランスが未だ取れていない酸が立った感じとの違いも理解できると思います。若いワインであれば、二日三日経った方が美味しい場合もあるのですが、今回のボーヌはちょうど飲み頃と言えると思います。
 
 こうした問題も実際行なってみると生じてきます。S弁護士からドゥミブテイユ(ハーフボトル)にしたらどうかとの提案もありました。ごもっともなのですが、事は簡単ではありません。その件も含め、ワイン会中にあった質問など個別案件に関してはこのあと、会員用で書かせていただく所存です。S弁護士はじめ、参加下さった皆さん、貴重な機会を与えて下さったことに感謝します。
 

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目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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