美食批評への誘い  Vol.61~65

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第六十一回
松本・諏訪への旅
――信州ワインと信州ガストロノミー――

 筆者は毎年、九月初めに二泊三日の旅行に出かけるのを常としています。近場の外国に行くのが理想ですが昨年はコロナ禍で海外に行けませんでしたので、亡き両親の実家のある静岡市を旅することにしました。父が転勤商売だったため、筆者は静岡市に住んだことがなかったからです。また、『ゴ・エ・ミヨ』日本版で静岡市内に「カワサキ」という優れたフレンチが開店したことを知り、是非とも訪れたいと思ったからです。これらにつきましては昨年書かせていただきました。そして、その際行きそびれてしまった島田の「ラーメン ル・デッサン」、そして映画『メゾン・ド・ヒミコ』のロケ地となった御前崎の「カフェ・ウエルカムティ」だった建物への訪問をこの五月に「カワサキ」の再訪と共に叶えることが出来たのでした。そして、この件も記事にさせていただきました。
 
 静岡行きが決まった時点で今年の九月こそは海外にと思い、新学期が始まる直前、ソウルのホテルに予約を入れました。その頃にはコロナも一段落し、オリンピックが開催され、海外渡航も可能になっているのではないかと考えたからです。ところがいっこうに感染状況は好転せず、それどころか悪化の一途をたどるように思える状況になりました。そこで、静岡から帰るとソウルを諦め、今年も国内旅行にしようと予定変更することに。そして、昨年が住んだことはないものの筆者のルーツと言える静岡への旅の続きとして、筆者が三歳から十歳までの七年間の幼少期を過ごした長野県の諏訪への旅をすぐ思いついたのです。
 
 というのも、五月に「カワサキ」を再訪する際、その直前に『ディスカヴァー・ジャパン』誌2021年五月号に「カワサキ」が犬養裕美子氏によって再び取り上げられたのですが、同号の特集で松本の「松本十帖」がこの五月にグランドオープンした記事が八頁にわたり掲載されていたからです。すでにブックホテル「松本本箱」の開業は知っていて一度訪れてみたかったのですが、メインダイニングでふるまわれるコペンハーゲンの三つ星「ノーマ」の影響を受けたクリストファー・ホートン氏が監修する「信州ガストロノミー」の詳細を知り、これは訪問しない手はないと松本での一泊、そして諏訪での一泊の旅を決めました。では、諏訪はどこに泊まろうかと探したところ。こちらもこの四月に諏訪湖畔にグランドオープンしたばかりの「かたくらシルクホテル」で「創作信州フレンチ」が食せることがわかり、六月初めに両ホテルを早速予約した次第です。
 
 オリンピックの開催は議論されることもなく既成の事実として挙行されたのですが、感染状況は悪化するばかりで、オリンピックが終わってもパラリンピックが続いて開催されるので都市圏のみならず、静岡県のような他の多くの県にも緊急事態宣言が発令されることになりました。そんな中で長野県は国レヴェルでは何の措置の対象ともならず、大手を振ってワインを飲むことが出来たのでした。これは偶然とは言え、不幸中の幸いでした。
 
 さて、今回の旅の場合、どちらも宿泊するホテルでディナーも摂るパターンです。この場合、食事だけでなく、泊まる部屋、ひいてはホテル全体のホスピタリティが評価に値するクオリティに達しているかが問われます。これは「レストランの正三角形」のレストランをホテルに置き換えれば一目瞭然です。つまり、レストランでのサーヴィスをホテル全体のサーヴィスと考えればよいのです。そして、両ホテル共に食事は「信州」と銘打った美食、そして結果的にワインリストもすべて「信州ワイン」とどちらも「信州」づくしだったという訳です。公開用では両ホテルの「ホテルの正三角形」を検証してみたいと思います。
 
 「松本十帖」は浅間温泉街にあるリノべーションした旅館をべースとした複合施設でホテルも部屋にテレビのないブックホテル「松本本箱」とファミリー向きの「小柳」と二つに分かれ、それぞれにダイニングが付設されています。浅間温泉は子供の頃、両親に連れられて訪れたことがあったので今回の旅に相応しい場所でもありました。車での移動にアクシデントがあり、「松本十帖」に到着したのはディナー開始時間ギリギリの夜七時半頃になってしまいました。浅間温泉郷は迷路のような狭い路地に多くの旅館がひしめくように軒を並べる風情で、駐車場もホテルにはなく、温泉郷の入り口近くの「十帖」の施設の一つ、カフェ「おやきと、コーヒー」の駐車場を利用し、このカフェがレセプションにもなっているのです。日本全国のほとんどが緊急事態宣言下、あいにくの雨模様、夜八時近くの温泉郷は暗闇の中にひっそりとあり、誰も外を歩く者は見当たりませんでした。薄明りのカフェで検温を済ませ、ウエルカムドリンクとおやきは明日にしていただき、お迎えのベンツのバンで数分先にある「本箱」に向かいました。ホテルのフロントはブックスストアとカウンターバーのレジを兼ねたもので、今回はこちらで記帳をして下さいと入り口近くのソファに腰かけ作業しようと奥を見ると、そこは本に囲まれたダイニングで、薪のグリルの火が印象的なカウンターに三名の方がすでに座られていました。このホテルのディナーは二回制で、五時半と七時四十五分。フロントの女性は着いたばかりでお疲れでしょうから、時間は気にせず、一休みしてからお越し下さいと気配りある対応。
 
 「松本本箱」は二階から五階まで全二十四室の客室。内容は、各階にデザインの異なるスイートが一部屋ずつ計四室、二階にジュニアスイートが一室、ツイン(三種類)が十九室。筆者は二階の一番奥にあるジュニアスイートに泊まりました。冷蔵庫の中の飲み物はすべてフリー。また、各階の廊下にお菓子や飲み物が補充できるコーナーが設けられています。「十帖」の造るシードルなどもあり、コンビニに出かける必要はなさそうです。一階の二十四時間開いているブックカフェにあるエスプレッソマシーンで珈琲も飲めます。
 
 他のお客様と時間が余りずれるのも申し訳ありませんし、お腹も空いていましたので、部屋に荷物を置くとすぐに一階のメインダイニング「三六五+二」へ。信州の四季折々(三六五日)の食材を歴史と文化を踏まえて(+二)現代に再現する「信州ガストロノミー」。そのキーワードは「発酵」。確かに、諏訪に住んでいた子供の頃も、冬になる前に野沢菜の「漬物」を漬ける「おは漬け」の習慣が地元の家庭にはあり、「真澄」などの「清酒」が造られ、そして湖畔には「タケヤ味噌」の工場が。今回訪れると、いまだ味噌工場が湖畔にあり驚きました。あと、松本・諏訪どちらのディナーにも感じたことですが、野菜が多用されていました。これも小学一年生の給食に、きゅうり一本と味噌、トマト一個といったメニュがあり、サラダにセロリが必ず入っていて辟易としたのをよく覚えています。大人になればセロリは美味しいと感じましょうが、幼稚園を卒園したばかりの小児にセロリはいかがなものかと思いますが。
 
 アミューズ(三種)、野菜(三種)、魚(蛸でした)、そして肉(安曇野放牧豚薪火焼き)、デセール(二種)とどれもポーションは少なめで、少食の筆者でもほぼ残さず食べてしまいました。料理はどれも美味しく、アミューズの「乳酸発酵のルバーブ」や料理のヨーグルトソースにデセールのヨーグルトアイスに代表されるように確かに「発酵」を意識したメニュでした。結局、宿泊客は筆者たちの他にこのディナーで一緒だった、カウンター席のお誕生日祝いの若いカップルと女性一人のみ。筆者たちはテーブル席でした。つまり、三室しか宿泊していなかったということになります。
 
 ワインリストは信州ワインだけからなるものでした。ペアリングもありましたが、もちろんそれはパスしてグラスのスパークリングを飲みつつ、ワインを決めることに。安曇野ワイナリーのシャルドネのスパークリングだったと記憶していますが、やはりシャンパーニュのブラン・ド・ブランのようなコクが出ず、平板な味になってしまうようです。これは山形県の高畠ワイナリーのスパークリング、嘉(よし)のシャルドネでも感じたことです。信州の赤ワインは塩尻の桔梗ヶ原メルロが有名なようにボルドー系の品種が主流で、ソーヴィニヨンかメルロがほとんどを占めていました。その中でピノ・ノワールは一種類だけ。さらに北部の長野市に近い高山村の「信州たかやまワイナリー」のピノ・ノワール2018年。税・サ―ヴィス込みで10780円。なかなかのお値段でしたが聞いたことのないワイナリーでしたのでここは是非、飲んでみたいと。結果はやはり色も薄く濃度に欠け水っぽいワインなのですが、果実味を上手に生かして柔らかい仕上がりになっているので、いわゆる薬っぽい味のブルゴーニュ、あるいはイタリアワインのブラケット(ピエモンテ)などに近いユニークなワインでそれなりに楽しめました。
 
 ただし、これは「かたくらシルクホテル」でも感じたのですが、小売3000円ほどのワインを一万円以上で売るのはいかがなものでしょうか。ホテル価格と言われればそれまでですが、一般の方が一万円でこの味かと勘違いされたら、信州ワインのイメージを損なう可能性さえあります。信州ワインを正しく知ってもらい、広めたいのであれば、信州に来れば、小売価格に近い値段でホテルでもワインが飲めるようにすることが良策ではないでしょうか。折角だから一万円の信州ワインを飲んでみようと思い、小売一万円のワインが飲めれば、日本でもこのような立派なワインを造っているのだと感心し、また数千円で美味しければ、日常使いに信州ワインの選択肢も加わり、多くのワイナリーのワインが試される可能性が出てくると考えられます。
 
 一方、諏訪の「かたくらシルクホテル」も今年の四月にグランドオープンしたばかりのホテル。諏訪湖畔の片倉館、片倉美術館など片倉財閥の敷地内に全九室、全室スイートというこじんまりした洋館です。二階がクラシック、三階がモダンな内装の部屋。筆者は二階の一番広い「綸子(りんず)」に泊まりました。湖畔ですのでどの部屋もベランダの目の前に諏訪湖が広がる素敵なロケーションです。筆者が「綸子」を選んだのは二階のクラシックの方が内装が落ち着いた色合いで、「綸子」だけがベッドの位置がベランダとは反対側の入り口脇の奥まった独立したスペースだったからです、驚いたのは道を挟んですぐ隣が筆者が卒園した聖母幼稚園だったこと。湖畔に面した教会部分のファザードは自分が通っていた頃は玉砂利の敷かれた風情ある動線だったのですが、今は駐車場になっていて機能的とはいえ、ちょっとガッカリしました。
 
 「かたくらシルクホテル」でのディナーは一階のフレンチ「ラ・ソワ」で供されました。各テーブルがカーテンで仕切られていましたので何組いらっしゃったのかわかりませんが、筆者たちを除いて、二、三組だったと思われます。筆者の泊まった「綸子」は二階のエレベーターホールが片倉家の展示になっていて、その左側にあるのですがそちらには「綸子」しかなく、他の四部屋はエレベーターホールの右側にあるので誰にも会わなかったのです。時間は選べるようになってて、筆者たちは7時からにしたのですが一番遅かったらしく、その後来客はありませんでした。 
 
 「創作信州フレンチ」と謳ったコースは三種のアミューズ、前菜、スープ、魚(真鯛のポワレ)、グラニテ、メインの肉(蓼科牛のロースト)、シルクカレーor信州そば、ワゴンサーヴィスのデセールとなっていました。キーワードはホテル名にも登場する「シルク」です。ラ・ソワはフランス語で「絹」。片倉財閥は養蚕製糸業でシルクエンペラーと呼ばれるほどの成功を収めた名家。あの富岡製糸場も1939年、国営から片倉製糸へと移行しています。戦後財閥解体で片倉興産に。1928年に当初福利厚生施設として建設した温泉施設「片倉館」は現在も営業。筆者も子供の頃、近所の方に連れられて何度か出かけたことがあります。また、映画『テルマエ・ロマエ』の撮影にも用いられました。
 
 そんな「絹」に縁の深い片倉の宿ですから、食材にも「シルクパウダー」が用いられていました。さすがに蚕のさなぎは出てまいりませんでしたが、海のない長野県ではたんぱく源に今流行りの昆虫食が伝統的で、イナゴやタガメの佃煮、ハチの子などは子供の頃、よく見かけました。蚕のさなぎや幼虫も同様に甘露煮などにして食しているようです。シルクの有効成分を粉末にしたシルクパウダーはシルクタンパクが生活習慣病に効果があるということでシルクの新しい活用法として注目されているとのこと。魚料理のソースはシルクパウダーを使ったヴァンブランソース、デセールのプリンもシルクパウダー入りと。その真骨頂がシルクカレーでした。シルクパウダーをふんだんに用いた白いカレーで、欧風と思いきや、本格的なアジアンテイスト。聞くとスタッフにネパールの方がいるそうでその方の考案とか。どの料理も悪くなく、筆者は蓼科牛がサッパリしていて気に入りました。しかし、シルクカレーがなんといってもインパクトが強くメインディッシュだったと思います。
 
 ワインはやはり、信州ワインのみで「松本本箱」とリストアップの数も同じくらい。選んだのはやはり一種類しかなかったピノ・ノワール。こちらは塩尻の桔梗ヶ原にある老舗「五一ワイン」のピノ・ノワール 2018年。ただ、残念なことにこちらも3000円くらいのワインが12870円(税・サーヴィス込)と四倍くらい。味もボディが薄っぺらいのに酸が強いので飲み辛い。同じヴィンテージでも昨日の「信州たかやまワイナリー」の方が上手に造っているのがわかりました。
ディナーに関して、「信州」を謳った料理は共に奮闘のあとが見られ好感が持てました。ただし、信州ワインに関しては納得のいかないことが多々あります。間違いなくボルドーやブルゴーニュを合わせた方が美味しいと思われる料理にあえて信州ワインを合わせよというのであれば、それなりの工夫が必要ではないかと思われます。さもなくば、信州ワインは結局のところ、観光用のお土産ワインという臆見を変えることが出来ないでしょう。
 

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著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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