美食批評への誘い  Vol.16~

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第十六回
ソムリエの仕事をセルヴィスが兼任する難しさ
――メートル・ド・セルヴィス杯観戦記②

 前回に引き続き、メートル・ド・セルヴィス杯を観戦した所感から、ソムリエの仕事をセルヴィスが兼任することの難しさについて記しておきたいと思います。まず前提として、すでにこの連載で繰り返し書いて参りましたように、レストランの三角形では、ワインとサーヴィスは別の柱になっており、しかも、ソムリエは元来サーヴィスの二部門、料理担当と飲み物担当の後者に該当し、ワインを専門に扱うのはキャヴィストに相当するという込み入った関係にあることを思い出していただきたいのです。つまり、セルヴィスという括りでは食べ物、飲み物をすべて扱うのが当然なのですが、王制時代から、肉を切る係と飲み物を担当する係は別だったのであり、現在もグランメゾンでは、セルヴィスとソムリエはそれぞれ別に存在します。しかし、昨今のフレンチにおいては、ビストロのみならず、まさにビストロノミーの一つ星あたりではソムリエがセルヴィス一般を担当したり、少なくとも食べ物と飲み物のサーヴィスの分業が明確になっていないのが実情です。また。ホテルでも、朝食からディナーまで出すようなダイニングに専任ソムリエを置くところはまずありません。
 
 こうした事情からでしょうか、今回のコンテストでもワインを主とした飲み物のサーヴィスもファイナリストは行なうことになっていました。順に挙げて行けば、ミネラルウォーターの注文(炭酸入りか無しか)とサーヴィス、食前酒のシャンパーニュのサーヴィス、白ワインのサーヴィス、赤ワインのサーヴィス、食後の飲み物のサーヴィスの五つが要件となりましょう。まず、結論から申し上げますと、四名からなるテーブルを、昨今は通常あまり見かけないゲリドンサーヴィスが目白押しの課題を一人でこなし、しかも、助手いや相棒のコミは厨房との行き来で精一杯とくれば、食事のサーヴィスで手一杯で飲み物までは細心の注意が行き届かないということです。
 
 一目瞭然だったのは、ミネラルウォーターの扱いです。四名の客の水の入ったグラスの状況を把握し、無くなりかけたら補充するのは、ワインが次々出されて行くにつれ、ますます困難になっていきます。せめてコミに余裕があれば、コミが水の補給を行なえばよいかと思うのですがそれどころではない。従って、水のグラスが空になっているのが散見されました。ある卓では苦肉の策か、エヴィアンのボトルをテーブルに置いてしまって、客が自分で注ぐ形になっていました。同行して下さったワインバーの店主は、これはヨーロッパで最近よく見かけるスタイルだとおっしゃっていましたが、筆者はまずいと思います。何故なら、これはキャラフ・ド・ロ、即ち、無料の(水道)水をサーヴィスするときのスタイルだからです。ミネラルウォーターは有料、しかも日本のみならず、ヨーロッパでもその値段は高い。つまり、サーヴィス料が加算されているのです(フランスではサーヴィス料込みの値段が表示されています〔セルヴィス・コンプリ〕)。つまり、ミネラルウォーターを注文するなら、それをサーヴィスするのは当然の職務。客が自分で注ぐなどあってはならないことなのです。さらに、テーブルに置けば、水がぬるくなります。これもサーヴィスとしてあってはならないこと。いずれにせよ、クーラーに入れておかねばならないのですが、ほとんどの卓でブテイユはクーラーに入れられず、作業台にそのまま置かれたままでした。
 
 こうして考えると推して知るべしで、さらにデリケートな配慮の必要なワインのサーヴィスが形式的なものになってしまったのです。客にワインを紹介し、しかるべき客にテイスティングしていただき、女性からサーヴィスして行く。そうした一連の行為はさすがファイナリスト、皆さん、そつなくこなしておられました。しかし、アペリティフのシャンパーニュ、白ワインとサーヴィスの後、ミネラルウォーター同様、やはりクーラーに入れないまま作業台に放置してあるテーブルがほとんどでした。しかし、客の中には、ワインを飲まない方もおられましたし、またずっとシャンパーニュで通した方も見受けられました。そのような方にぬるくなった水やシャンパーニュをお出ししていたのは残念です。ちなみに御存知かと思われますが、シャンパーニュはマナー上大変便利なお酒で、アペリティフからデセールまで合わせることが可能と言われています(ロゼは魚・肉両方にマリアージュ可能と理解されます)。ですので、お酒があまり強くない方は、二人でシャンパーニュを一本取って、アペリティフから食事の終わるまで飲み進めて行けば、ボトルはちょうど空になるでしょう。かく言う筆者も、大学入学時からフランス料理を食べ始めましたが、ワインの魅力に開眼し、探求しようと思うに至るまでの十年ほどは料理中心で、もっぱら(一番ポピュラーな)モエ・エ・シャンドンのブリュットをボトルで頼んで済ませていました。
 
 もちろん、今回供されたシャンパーニュが通常のノンヴィンテージのブリュットで、白ワインもラングドック=ルーションの気軽なものだったので、比較的シンプルなサーヴィスで事足りたのであり、高級名柄やヴィンテージものだった場合、サーヴィスには細心の注意を払う必要があります。その点、赤ワインは逆に不相応に仰々しい扱いをされていたのが気になりました。今回用いられたのは、ボルドーの右岸、ACカロン=フロンサックのシャトー・ガビ2012年でした。通好みの素晴らしいチョイスですが、決して高いワインではありません。まず、驚いたのはパニエに入れて出されたことです。通常、パニエに入れて出されるのは一万円を超えるような高いワインか、澱が舞うのが懸念されるヴィンテージもののワインです。まあ、当該の食事のメインのワインだから恭しくパニエに入れて供したと理解しましょう。と思いきや、デキャンティングすると言うのです。そして、蝋燭に火をつけて、パニエに斜めに横たわっているブテイユのネックのところにその火をかざしながら、デキャンティングを始めたのです。これもまた、奇妙でした。ブテイユのネックのところに火をかざしてデキャンティングするのは古酒の場合です。澱が舞ってグラスに注ぐワインに混入しないよう、注意を払うためです。澱が混ざる口中でざらつきが感じられ、また味にも影響が出ます。とりわけ、ブルゴーニュは澱が細かいので、細心の注意が必要です。 今回はボルドーで、しかも五年ほど経ったに過ぎないもの。従って、澱は出ていないと思われます。また、澱が出ていたとしても、大きなものですので、パニエに入れたままグラスに注げば充分と思われます。つまり、蝋燭の火云々といったデキャンティングを行なう理由は、本来、ヴィンテージものを供する際、デキャンタに移すことで澱が混入していない清澄なるワインだけをサーヴィスすることを可能にするためなのです。従って、デキャンティングの方法がそぐわないと言えましょう。
 
 としたとしても、あえてデキャンティングするとしたら、それはもう一つの理由からと言えましょう。それはまだ飲み頃には早いと思われるワインを供する際、飲む前に少しでも多く空気に触れさせて、香りを開かせ、口当たりの柔らかさと口中での味の広がりを引き出すためです。確かに、コンテストで使われたグラスはテーブルそのものが小さかったせいもあるのか、ボルドーグラスではなく、小ぶりのものでした。従って、グラスを回してグラスの中で空気に触れさせるのは困難でしょう。しかし、その場合、まず気になるのはデキャンティングが必要なほどワインは硬いのかということです。ボルドーでも右岸はメルロが主体(ぺパーコーン『ボルドー・ワイン 第二版』(早川書房)によると(314頁)、当該のシャトーのセパージュはメルロ85%、カベルネ・ソーヴィニヨン10%、カベルネ・フラン5%)で、通常レヴェルのワインであれば、五年くらい経っていれば飲み頃になっているはずです。カベルネ・ソーヴィニョンが主体のメドックのワインでもブルジョワクラスであれば、充分飲めます。ですので、デキャンティングは不必要というのが筆者の見解です。
 
 それでも、いや、そんなことはない。まだまだ飲むには早く、硬いのでデキャンティングした方がよいのだとおっしゃるのなら、その場合、デキャンティングのタイミングがおかしいのです。硬いワインをほぐすためにデキャンティングするのなら、今回のようにワインが決まっているのなら、食事を始めるに際して、その旨しかるべく説明をして、デキャンティングしておくべきではないでしょうか。また、通常の食事であれば、アペリティフを飲みつつ、メニュから食事を、ワインリストからブテイユを選んだ時に、まだ硬そうだと思えば、客からデキャンティングをリクエストしても良し、セルヴィス(ソムリエ)からデキャンティングを勧めても良し、いずれにせよ、早めに行なう必要があります。ところが、誰一人として、そのように行動したファイナリストはいませんでした。皆、肉料理が出る直前に抜栓し、デキャンタに移しただけ。デキャンタの中でワインを充分回して、空気に触れさせていた方もいなかったように思われます。これではデキャンティングの意味がありません。ちなみに、デキャンタは使用するに際して、まず、少量のワインでリンスするのがマナーではないでしょうか。万が一とはいえ、ほこりや汚れなどを事前に除去するためです。こうした所作をきちんと行なっていたファイナリストは一名に過ぎなかったように思われます。
 
 このように見て来ますと、料理のサーヴィスで手一杯で、ワインをはじめとする飲み物全般にまで注意が行き届かなかったのか。それとも、サーヴィスが形骸化して、その意味まで理解していないかのどちらかとしか言いようがありません。少なくとも、フランス料理たるもの、マナーであれ、料理であれ、合理性に基づいていないものは一つとしてありません。合理性(rationalité)とは理由(raison、理性の意も〔ラテン語で理性はratio〕)があるということです。サーヴィスの一つ一つに意味がある。無駄のない動きとは、無意味な所作がないということではないでしょうか。そう思うと、料理のサーヴィスを極めようと思えば思うほど、飲み物に関してはソムリエに任せるのが妥当ではないでしょうか。今回のコンテストを拝見して、その思いを強くした次第です。
 

第十七回
追悼 ポール・ボキューズ
――現代フランス料理の転回点――

 二〇一八年、今年も引き続きどうかよろしくお願いします。昨年の創刊時、裁判沙汰になりましたが、日本側編集陣の交代を経て、『ゴ・エ・ミヨ 東京・北陸・瀬戸内 2018』が無事、今年も継続して出版されました。そこで昨年との比較を行なおうと思っていたのですが、年が明けてまもない一月二〇日、「ヌーヴェル・キュイジーヌの法王」と呼ばれたシェフ、ポール・ボキューズ氏(以下、敬称略)の訃報が飛び込んでまいりました。リヨン郊外、コロンジュ・オーモン・ドール村にある自身のお店で亡くなったとのこと。九十一歳でした。『ゴー・ミヨ』はボキューズと深い関係があり、筆者もまた、ご本人にお目にかかったグランシェフの中で最も印象深かった方ですので、ここに追悼の記事を書かせていただきたく思います。
 
 ご存知のように、「ヌーヴェル・キュイジーヌ」という言葉を広めたのは、アンリ・ゴーとクリスチャン・ミヨの二人で、彼らは一九七二年に『ゴー・ミヨ』を刊行しました。このガイドは『ミシュラン』の保守的な評価に対し、まさに「新しい(ヌーヴェル)」フランス料理を積極的に評価することで新機軸を打ち立てようとしたのです。その象徴となるのが、翌七三年に発表された「ヌーヴェル・キュイジーヌの十の戒律」です。もちろん、それ以前から彼らはこうしたスタイルの料理を探し求めていました。その中で出会ったのが、ボキューズ、トロワグロ兄弟、アラン・シャペルといったシェフだったのです。しかも、彼らはコロンジュ、ロアンヌ、ミオネーといったフランスの地方、それも田舎に店を開いていました。ただし、ボキューズは一九六五年、トロワグロは一九六八年、シャペルは一九七三年にミシュランで三つ星を獲得していますので、その知名度はすでに確立していたことは確かです。そして、一九七五年、フランスの料理人では初めて「レジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエ」を受章。まさに、「法王」、「皇帝」といった呼び名がふさわしい存在となったのです。
 
 その受賞晩餐会で披露された「黒トリュフのスープVGE」はボキューズのスペシャリテとして有名になりました。VGEは時の大統領、ジスカールデスタンの頭文字です。スープ椀にパイ皮をかぶせ、ふっくらと焼き上げる。そのパイを割るとトリュフの香りが一瞬にして立ち上り、食べる者を魅了する。ひときわ値段の高いこのスープは憧れの的でした。しかし、筆者にとって、ボキューズの代表的料理と言えば、「(オマールのムース入り)スズキのパイ包み焼き ソースショロン」より他はありません。師匠である(トロワグロもシャペルも)「ピラミッド」のフェルナン・ポワンから受け継いだとされるその料理は、シンプルなブールブランソース(白ワイン入りバターソース)だったものを、エストラゴンとセルフィーユの効いた酸味の強いショロンソースに進化させたことで、味が格段に印象深いものになりました。しかし何より、スズキ一匹を魚の形をそっくり型取ったパイ生地で焼き上げたダイナミックな料理は見る者を釘付けにするでしょう。そして、筆者もまた、ボキューズその人を初めて見たのは、大きく手を広げにっこり笑いながら、魚の形をしたパイを「どうぞ」と勧めるボキューズの写真だったのです。それは「レンガ屋ポール・ボキューズ」の宣伝写真でした。ボキューズは世界的に有名でしたが、とりわけ日本とは深い関係にあったのです。
 
 一九七〇年代、日本のフランス料理黎明期、銀座即ち日本の名店と言えば、「マキシム」、「レカン」と並んで名前の挙がるのが「レンガ屋」でした。代官山にも店があったように思います。「レンガ屋」は一九七二年、ボキューズと提携を結び、スーシェフだったジョエル・ブリアンが着任。後に、ブリアンは南青山に「ジョエル」を開店、現在に至っています。また、日本におけるフランス料理の伝道師的存在で辻調理師学校を設立した辻静雄氏が、一九七二年にボキューズとジャン=ポール・ラコンブ(二つ星「レオン・ド・リヨン」シェフ)を講師として招聘、一九七五年にはトロワグロと共に再び招聘されています。また同七五年、辻はTBS系列で放映が開始されたテレビ番組「料理天国」の監修を担当。芳村真理さんの軽妙な司会、龍虎氏が試食担当で様々なジャンルの料理を紹介。筆者もまた、この番組を欠かさず見ていました。とりわけ、辻調のフランス料理教授小川忠彦氏(「ピラミッド」で修業)の作る料理に魅了されたのを思い出します。
 
 このようにボキューズは日本におけるフランス料理の普及の初期から関わりを持ち、それは現在に至っています。一九八六年には、アークヒルズ、とりわけサントリーホールの開設に伴い、サントリー社長佐治敬三氏の肝いりでホールの向かいに「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トキオ」が開店。ボキューズは最高技術顧問に就任します。筆者が定期会員になったオケの演奏会の帰りに必ずディナーのため来店するようになったのは、一九九三年だったと思います。それから九七年の閉店まで顧客の末席に加えていただくことになりました。そこでボルドーワインに開眼したことはすでに書き記した通りです。そして、そこでボキューズにお目にかかることになりました。ちなみに、その後、ボキューズは名店「ひらまつ」グループと提携し、二〇〇七年、代官山に「メゾン・ポール・ボキューズ」を開店。ブラッセリーは全国展開がなされています。同〇七年は年末に『ミシュラン東京』(2008年版)が登場した年であり、「メゾン・ポール・ボキューズ」は一つ星を獲得、現在に至っています。筆者は『ミシュラン』発刊に合わせての「日刊ゲンダイ」紙の企画「ランチで使えるミシュラン」でフランス料理を中心に記事を書かせていただきました。そして、代官山の店にも出向きました。筆者の食していた「ル・マエストロ」での料理はボキューズ直伝のものではありませんでしたので、「メゾン」の方がボキューズのレシピを忠実に再現していたと思います。味のしっかりした暖かくどこか懐かしい味。アンリ・ゴーが、「祖母の味への回帰」と記した〔アンリ・ゴー『フランスのレストラン ベスト50』(柴田書店、1988年)、58頁〕ボキューズの料理ではなかった、と。
 
 さて、筆者がボキューズ氏に最初にお目にかかったのは、一九九五年、ミシュランの三つ星三十周年を祝う特別ディナーのため来日された際でした。その後、現在に至るまでコロンジュの店は五十三年にわたり三つ星を維持しています。ちなみに師のフェルナン・ポワンの「ピラミッド」は一九三三年、『ミシュラン』が三つ星のランク付けを始めた年に三つ星を獲得して以降、五五年のポワンの死後、後を引き継いだマダムポワンが三つ星を守るも八六年に亡くなり、翌八七年に二つ星に降格しました。くしくも「ピラミッド」が三つ星だったのは五十三年間。ボキューズ亡き後、はたして来年の『ミシュラン』はボキューズに幾つの星をつけるのでしょう。
 
 九十五年の特別ディナーは1125日(土)に出かけています。実は23日が筆者の誕生日であり、それ故にか、その日飲んだワインは筆者の誕生年1961年のシャトー・パヴィ、さらに、ディジェスティフも1961年のポルトと記録されています。1961年のボルドーは戦後のヴィンテージ中最良の年の一つと言われています。筆者がボルドーに魅かれた理由の一つでもあります。さて、その日何を食したのか。申し訳ありませんがよく覚えていません。当時の「ル・マエストロ」のシェフはフランス帰りの新進気鋭、市川知志氏(現、銀座「シェ・トモ」オーナーシェフ)でした。しかし、彼はトロワグロの弟子でボキューズ直系という訳ではなく、料理は見事でしたがボキューズ色の強いものではなかったと記憶しています。さて、この特別ディナーには来店記念に『ミシュラン』を模した赤いハードカバーの表紙のボキューズ三つ星三十周年記念の小冊子がお土産に配られました。フランス語の冊子に別紙の日本語訳が付いたものです。中には、ポワン夫妻はもとより、上記のトロワグロ、シャペルの写真も登場します。また、ボジョレーの普及に共に尽くしたジョルジュ・デュブッフなどの顔も見られます。「ピラミッド」三つ星五十周年を祝ってマダムポワンにバラを捧げるボキューズら弟子たちの写真はその中の白眉と言えましょう。それだけでも貴重なものですが、ボキューズ氏が各テーブルを回り、ポラロイド写真を一緒に撮って下さり、それにサインをして、冊子の裏表紙に貼って帰りに渡して下さったのです。筆者のテーブルは同行者が遠慮したのか、別に撮って下さったのか記憶にないのですが、ボキューズ氏と筆者のツーショットの写真が手元に。右手で握手し、左手は筆者の肩に手をかけて下っています。しかも、「関さん、御誕生日おめでとう」、と冊子にはさらにサインが入っています。筆者にとって今までの人生で一番の宝物は何かと問われれば、それは間違いなく、この小冊子に他なりません。
 
 そして、翌九十六年、再びボキューズ氏にお目にかかった記憶があるのです。調べたところ、1127日(水)のことでした。この際は出版社の方たちと四名だったのか、筆者が九月にパリで購入したシャトー・ラルシ=デュカスの1955年をメインに何本かワインが空いています。何かの用で来日され、その間、店に顔を出されていたように記憶しています。何故記憶しているかと申しますと、実は筆者、ボキューズ氏ご自身の作られた料理を食しているからです。それは九十五年のことではなく、この年のことだったのではないか、と。紙面が尽きて参りましたので、その話は会員頁で詳しく書かせていただく所存です。
 
 もちろん、筆者は少なからず多くの有名シェフにお目にかかってきました。例えば、先年は台北でヤニック・アレノ氏にお目にかかり、一緒に写真も撮らせていただきました。しかし、筆者にとってグランシェフと言えば、「ル・マエストロ」の思い出と共にボキューズ氏に尽きるのです。ここに心から追悼の意を表し、ボキューズ氏のご冥福をお祈りしたいと思います。
「メルシ・ボク、マエストロ・ボキューズ」、そして、「アデュー」。
 

第十八回
ビブグルマンとpop
 ――格付けガイドのワンダーランド――

 先日(123日)、たまたまテレビをつけてみると何処かで見た覚えのある女性の顔が映し出されていました。「按田さんでは?」。それは『セブンルール』(フジテレビ系)というドキュメンタリー番組で、その女性はミシュランでビブグルマンを獲得したとかで、表彰式に臨んでいる光景も登場していました。スマホで調べてみると間違いありません。「按田餃子」の按田優子さん、と。プロフィールを見ると、1976年生まれ、東洋大学文学部哲学科卒とあります。実は按田さんの卒業論文の指導教官で、卒論審査の主査は筆者だったのです。彼女はロラン・バルトの『モードの体系』を援用しながら、長大なファッション論を書きました。文章力にたけ、内容も充実した見事な論文で、筆者は最高点を付けました。ただ、同点の他の専任教員の指導した正統な哲学論文が賞を得て、彼女は賞をもらえず、筆者は悔しい思いをしました。ファッション業界に就職するか、東大の表象文化あたりの大学院に進むかと思いきや、「パン屋になります」とあっさりと言われ、呆気にとられたのをよく覚えています。そして、気づいてみると餃子屋さんに、というか、食品加工の専門家、料理家というのが肩書きのようです。『ミシュラン東京』版は毎年買っているのですが、フレンチ以外、さらには、星付き以外余りに気に留めていませんので、2016年度からビブグルマンに「餃子」というカテゴリーが登場し、その四店舗の一つとして選出されていたのに気づきませんでした。
 
 すでに記したと思いますが、2008年版から始まった『ミシュラン東京』版は当初、「星付き」の店のみの掲載でした。それが2014年以来、「星付き」と「ビブグルマン」の二種類の選出となっています。ビブグルマンの定義は「5000円(サービス料、席料含む)以下で特におすすめの食事を提供している」とあります。値段に関しては、『ミシュランパリ』版で、ビブグルマンが36ユーロ(現在、一ユーロ約135円)以下であることに対応しています。パリ版がビブグルマンに要求しているのは、一言で言えば「カリテ=プリ」です。「品質(カリテ)が価格(プリ)に見合うかそれ以上」、つまり「コストパフォーマンスの良さ」。
 
 しかし、本来、ミシュランは「星付き」か「星無し」かの二分法で出発し、後に、「星無し」の中で安価に楽しめる店を「ビブグルマン」で表示したという経緯があり、日本版とはその出発点から評価の違いがあります。現在、その三分法は変わっていませんが、「星無し」ではなく、ナイフフォークと皿の印「ラシェット〔皿(に盛られた料理)〕」がついています。その意味は「キュイジーヌ・ド・カリテ」即ち「良質の料理」です。ここから、あくまで「カリテ」が基準で、ビブグルマンにはさらに「プリ(価格)」の上限があるという違いであることがわかります。
 
 では、どうして日本版とパリ版(フランス版)にそのような違いがあるのかと問われれば、それはパリ版を見ればわかりますが、三つのカテゴリーのどれであれ、基本フランス料理であることが大前提にあるのに対し、東京版はそもそも和食の比率が高く、焼き鳥、ラーメンに星付きの店があり、ビブグルマンに至っては、餃子、カレーとスナック的要素のあるジャンルが登場します。結果、ビブグルマンでもフランス料理と餃子では同じ土俵で評価するのが難しいと言えるでしょう。
 
 しかし、これも正確ではありません。同じアジア圏の『ミシュラン』を見てみると、「香港・マカオ」、「ソウル」版ともに、「星付き」、「星無し」、「ビブグルマン」の三分類になっています。さらに、「香港・マカオ」には、「ストリートフード」としてスナック系の店を紹介する欄があります。つまり、どうも「日本」版だけ異例の分類になっているのです。裏事情があれば仕方ありませんが、出版された『ミシュラン東京』版の変遷を見る限り、それはやはり最初に星付きの店しか東京版は掲載しなかったことが大きな要因であることは間違いないでしょう。『ミシュラン』=星というイメージがパリ=フランス以上に定着してしまったのです。つまり、「星無し」で掲載がスタンダードで、その中でも優れた店に「星が付く」という構造が無視されてしまった。『ミシュラン』に載るとは星を取ることであり、それ以外にはあり得ない。2008年度『ミシュラン東京』版が開始された際、そのような状況が作られてしまったのです。従って、後から「星無し」の店を加えることが難しくなってしまったのです。そこで、安価でフランス料理や懐石料理などとジャンルの違う料理の並ぶ「ビブグルマン」なら加えるに問題ないだろうということで、「ビブグルマン」だけが採用されたと考えられるのです。
 
 そして、そこで生じたのが、『ミシュラン』に載ることは凄いことで、「ビブグルマン」はジャンル違いの「星付き」と同様なのだといった勘違いというか、先入見だったのではないでしょうか。よく考えてみると、「星付き」、「ビブグルマン」二元論にはある種の矛盾があるのです。パリ=フランスの場合、「星無し」の店が基準ですから、その中でも36ユーロ以下で楽しめる店に「星無し」評価でかつ「財布にやさしい」的に「ビブグルマン」のマークが付いているわけです。つまり、「ビブグルマン」の店に「星」など付くわけがない。また、36ユーロ以下の「星付き」の店などあるはずがないのです。それは他でもない、フランス料理店が基準ですし、いくら料理中心と言っても、レストランとして星を獲るには調度、サーヴィス、ワインなどが「上質」でないと成り立たないのです。ところが、『ミシュラン東京』版では、一杯1000円のラーメンに星を付けてしまった。そのくせ、「5000円以下」という「ビブグルマン」の基準はパリ=フランス版の36ユーロの直訳に過ぎない。これは明らかにダブルスタンダード、あるいは評価基準が曖昧なままなのです。そこで、「ビブグルマン」の店をジャンル違いの「星付き」店のごとくメディアも取り上げ、大騒ぎする。こうした傾向に、藤山純二郎氏のような稀代の食通も「三つ星以外は意味がない」といった論調で警鐘を鳴らす本を出されました(藤山氏の著作に関しては後日、この場で論じる予定です)。筆者は藤山氏の「三つ星至上主義」には同感しかねますが、『ミシュラン東京』版の評価の異質さを懸念されるお気持ちには賛同します。
 
 こうした混乱が生じたのは、東京がまさに美食のメッカだからでしょう。つまり、フランス料理もパリ=フランス水準で「星付き」の店が多々あり、さらに日本料理もそれに劣らず「上質」の店が存在する。しかも、どちらもいい勝負とくれば、「星付き」店のオンパレードになってしまいます。それに対して同じアジアでも、「香港・マカオ」であれば、やはり中華料理店が大多数を占め、「ソウル」版では韓国料理を中心としたアジア料理店が主流を占める。つまり、フランス料理店は少数なので、「香港・マカオ」なら中華料理を軸に、「星付き」、「星無し」、「ビブグルマン」の評価が出来るのです。しかも、スナックの紹介欄まであるのですから、『ミシュラン』の原点、旅行ガイドの面目躍如といったところです。この場合、美食批評として勘案すべきはまさに「星付き」店の「星」の妥当性に限られると言ってよいでしょう。筆者が『ミシュラン』全般で「星付き」店のみを考察対象に挙げるのもこうした理由からです。またこの点で、筆者は藤山氏のご意見に一理ありと評価するのです。
 
 そうした評価基準に対して、『ゴー=ミヨ』は二十点満点の点数評価で「星付き」から「ビブグルマン」までの一貫性を維持しつつ、トック(コック帽)の数で、「星付き」の店を示唆するといった巧妙な手法を取っています。昨年(2017年度)から始まった日本版『ゴ・エ・ミヨ』も本国の方法を踏襲しています。それは、料理をフランス料理・イタリア料理、高級日本料理(懐石、割烹系と寿司)に限定しての評価であったため、可能だったと言えます。ところが、編集が変わった本年度(2018年)版には、それらとは別に「pop」というジャンルとコーナーが設けられました。これは本国フランスの『ゴー=ミヨ』にはありません。長々としたその口上の中で定義と思われる部分をご紹介しましょう。「流行のスタイルである以上に、味や素材に対するこだわりはまさに生活の重要な一部であり、そんな料理が生まれる場所を紹介するのがこのカテゴリーです」。正直、よくわかりません。掲載されている店を見ると、『ミシュラン』で「ビブグルマン」評価のフレンチなど見受けられます。フレンチ中心ですが、蕎麦屋もあれば、浅草の洋食屋もある。要は、「ビブグルマン」に相当する明確な指標が欲しいのだなあ、と察しました。パリ=フランスの『ゴー=ミヨ』では、10点以上が掲載され、11点から12.5点までが一トック。この辺りの店の表記されている価格を見ると、定食(ムニュ、M表記)で10ユーロ台、アラカルト(カルト、C表記)で30ユーロ台の店ばかりです。つまり、「ビブグルマン」のような明確な表記こそないものの、評価の仕方を理解し、きちんと読みこなせば、「ビブグルマン」相当の店はどれかがわかるようになっているのです。
 
 ところが、今回の日本版は最低が12点の一トック止まり。しかも、価格帯を見ると夜で18000円までなどという店が結構あります。5000円以下の店など皆無と言って良い状態。おそらく、こうした状況をカバーし、ミシュランの「ビブグルマン」に匹敵する指標を作りたいと考えたのでしょう。それが「pop」である、と。しかし、トックどころか、点数もついていなければ、目安の値段も書かれていない。そうかといって、その名前からも想像できるように、餃子など一切登場しません。業界人御用達のトレンドのお洒落な店とか、通が通う規格外のイノヴェーション(例えば、フランス料理に日本酒を合わせる店)とか、そういった感じでしょうか。正直、その紹介文を読む限り、先の定義同様、表面的な美辞麗句の連続で、結局何を言いたいのかよくわからないものばかり。結果、「ビブグルマン」とは別の、しかし同じカオティックな世界が展開されています。「ビブグルマン」も「pop」も食のワンダーランド(wonderland)といってよいでしょう。しかし、それは「美食批評」からすれば、同じワンダーでも「道を外れた(wander)」場所ではないかと危惧せざるを得ないのです。
 

第十九回
「批評は文学ではない」
――『ゴ・エ・ミヨ』2018年版に思う――

 『ゴー=ミヨ』日本版が今年も発売されました。『ミシュラン』と並ぶレストランガイドとして名高い『ゴー=ミヨ』の日本版が昨年創刊されたのは喜ばしい限りでしたが、日本版編集部の日本人の方々とフランス本国との仲介に入ったフランス人企業家との間にトラブルが起き、訴訟となり、日本側のメンバー全員が撤退されたのです。そこで、編集部が一新され、ジャーナリストの宮川俊二氏が編集長に就任。新たなスタートを切ったと言えます。従って、インスペクターも変わり、評価・コメントも昨年とは異なっていると考えられます。パッと見でわかるのは、本の厚さが随分厚くなったこと。昨年は190頁ほどで、今年は360頁強。倍近く増えました。ただし、掲載店は昨年が300店で今年が470店と1.5倍ほどに留まり、コメントが長くなったことが窺われます。また、昨年は東京と北陸だったのが今年はさらに瀬戸内三県(岡山、広島、山口)が加わっていますので、東京の掲載店が格段増えた訳ではありません。
 
 まず、昨年から気になっていたのですが、東京・北陸というのは何とも中途半端で理解に苦しむということです。『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』共に、フランスではフランス全国版とパリ版の二種があります。つまり、その論理に従えば、東京版に限定するか、北陸を入れるならば、大阪・京都なども含む全国版にするべきではないか、と。昨年に関しては、東京だけでは少ないと思われたのと、おそらくは北陸新幹線の開業と関連付けてガイド化しようと考えられたのではないでしょうか。事実、「編集部より」で、「ゴ・エ・ミヨツアー」の初回が「北陸ツアー」であったことが記されています。これとても、とってつけたような理由付けですが、今回の「編集部より」には瀬戸内を加えた理由がまったく記されていません。『ゴー=ミヨ』の場合、『ミシュラン』の「星」に相当する「トック(コック帽)」に加え、20点満点で点数をも付けているのですから、一冊の本としての在り方について説明を尽くす必要があると言えましょう。
 
 さらに、昨年との構成上の相違としては大きく二点挙げることが出来ます。まず、東京に関して、昨年は千代田区など、区ごとに得点の高い順に掲載されていました。今年は東京全体で得点の高い順に掲載されています。さらに同じ得点の店(例えば、15点)はアイウエオ順に。『ミシュラン』はすべての店をアイウエオ順に掲載していますが、『ゴー=ミヨ』はフランス料理(西洋料理全般)、日本料理、鮨に分かれています。わかりやすさという点では今年の方がよいと思われます。ただし、『ミシュラン』も『ゴー=ミヨ』も(他の評価本もすべて)パリ版は区ごとに掲載するのが慣例なので、昨年の『ゴー=ミヨ』はよりフランス本国のスタイルに近づけようとしたと考えられます。それはおそらく、『ミシュラン』東京版が本国とは随分異なった趣を持っているからではないでしょうか。
 
 もう一つの相違、それは前回の連載でも触れた「pop」というジャンルの創設です。これは、パリ版にはないカテゴリーです。これは『ミシュラン』の「ビブグルマン」に相当するものと考えられます。ただし、「ビブグルマン」が「5000円(パリ版)は36ユーロ以下で特におすすめの食事を提供している」と明確な価格での違いを表わしているのに対し、「pop」は「流行のスタイルである以上に、味や材料に対するこだわりはまさに生活の重要な一部であり、そんな料理が生まれる場所を紹介する」カテゴリーとのこと。饒舌な割には(だからとも言えます)、何を指しているのかイマイチわからない。確かにこれには一理あるのですが。『ミシュラン』がラーメンであれ、焼き鳥であれ、料理主体に「あらゆるジャンル」に星を付けることを明言している以上、星以外で紹介されるべきは「安くて美味しいもの」という価格の差異くらいになるわけです。それに対して、『ゴー=ミヨ』はいわゆる高級店、しかもオーソドックスな料理をジャンル別に評価の対象としていますので、値段もさることながら、取り扱われないジャンル(日本酒とフランス料理のマリアージュの店など)を一括して取り扱うカテゴリーが必要になるでしょう。つまり、「レストランをトータルに評価する」のをモットーとすると明言しています。これは大いに評価すべきです。ただし、トックや点数がないのは「ビブグルマン」と同じであれ、値段の目安が書かれていないのはガイドとして問題と言わざるを得ません。新しく創設されたカテゴリーですので、今後修正されて行くのを期待しましょう。
 
 さて、編集部が一変して、筆者が一番危惧しているのは、コメントが長くなったことが一概に喜べないことです。前回の「pop」に関して指摘した表現の迷走状態については会員頁にて具体的に分析しますが、全体的に饒舌ではあるものの、焦点がぼやけたり、かえって内容が薄くなってしまっていたりと気になるのです。例えば、昨年の「期待の若手シェフ賞」を受賞した「アビス」(96頁)。14行を費やしたコメント中、具体的な料理の話が出てくるのは「長野産鮎とメロンのピクルスは素材本来の味を最大限に引き出した上で、それぞれが無くてはならないほどの唯一無二の仕上がり」だけ。これとて、抽象的でわかりにくい。ではほかの部分はというと、「『アビス(深海)』。このレストランの全てはこの三文字が物語っている」という書き出しを展開し、「記憶の『深海』で起こる「深懐」という一つの珠玉の体験」を「目黒シェフを含めた『深海魚』と、その味に魅せられた『深懐魚』というゲストが織り成す、『アビス』という体験」と言い換えることの繰り返し。そのくせ、肝心の魚料理専門店とは一切書いていないのです。これは本末転倒と言わざるを得ません。決して良い例とは言えませんが、筆者の「アビス」評をHP(「関修のトポスアクティブ」https://ameblo.jp/ozamyu/)でご参照いただければ幸いです。
 
 上記の例は極めてわかりやすいものですが、全体も推して知るべしと言えましょう。こうした新体制の『ゴー=ミヨ』に対する危惧を、ピュドロウスキの翻訳をしていて確信しました。それはかの『美味礼讃』の作者、ブリヤ=サヴァラン(17551826)に対するピュドロウスキの評価です。サヴァランをピュドロウスキは「エピソード的美食家」に過ぎないと断言しています(原書、130頁)。エピソードとは「挿話」、つまり「主要でない」ということです。ピュドロフスキにとって、当時の「主要な美食家」とはグリモ・ド・ラ・レニエール(17581837)を指します。ピュドロウスキはサヴァランばかりが話題に上り、レニエールが過小評価されていることにご立腹なのです。レニエールこそ、『ミシュラン』の原型ともいえる、『食通年鑑』をそれに先立つこと100年近くも前の1803年に刊行したのでした。そして、毎週行われた「食味審査委員会」で検討、吟味を継続し、それは十年の間、465回も行われ、『年鑑』に反映されたのです。
 
 それに対して、サヴァランが「主要でない」理由は大きく二点あると言えましょう。まず、『美味礼讃』の初版が出版されたのは十二月と言われています。そして、サヴァランは翌一八二六年二月に急逝しています。ルイ十六世追悼ミサに風邪を押して出席し、肺炎を併発してしまったとのこと。しかも、『美味礼讃』がサヴァランにとって美食に関する最初で最後の著作だったのです。確かにそれまでも食通としてのエピソードは残っていますが、レニエールのような具体的かつ組織的な活動を行なっていたようではなさそうです。結局、ガストロノミーに関して、サヴァランは一冊の本を出しただけの業績しかないのです。
 
 しかし、たった一冊であったとしてもガストロノミーに決定的な影響を与えれば、サヴァランは「主要な美食家(ガストロノーム)」と評価されたでしょう。問題は『美味礼讃』が美食批評にとってさほど重要ではない、とピュドロウスキが考えていることです。良く言えば、「グルメ文学」としては一流と評価できる、と。その実、『美味礼讃』は出版されてすぐに増刷になるなど、現在に至るまで古典として読み継がれています。ピュドロウスキによれば、サヴァランはエッセイスト、物語作家ではあるが、批評家、ジャーナリストでは決してない。従って、現代の美食批評の原点はレニエールにあるのだ、と。その理由は何故か。ピュドロウスキは、初版が400頁を超える『美味礼讃』が後世に評価されたのは、最初に掲げられた「ガストロノミーの永久の基礎となる 教授のアフォリズム」だけではないかと言うのです。つまり、『美味礼讃』は結局のところ、20のアフォリズムに集約され、サヴァランはラ・フォンテーヌやラ・ブリュイエールといったフランスアフォリズム文学の系譜に連なる者であり、ガストロノミーの重要人物ではないのだ、と。
 
 「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言い当ててみせよう」(五番)。「チーズのないデザートは片目の美女である」(十四番)。これらの箴言(アフォリズム)を誰もが聞いたことがあるでしょう。これこそ、『美味礼讃』の最初に置かれた「本書のプロレゴメーヌとなる」「教授のアフォリズム」の一部なのです。プロレゴメーヌを「序文」と岩波文庫版は訳していますが、辞書にも「(十分に展開された概説を含む)序論」とあるように(『ロワイヤル仏和中辞典』)、本文の要約的な意味合いを持つ序という位置づけです。事実、「プロレゴメナ」という言葉を聞いてすぐ思いつくのは、カントが『純粋理性批判』を一七八一年に出版した後、長大で難解なために一般の誤解を招き、それを解消すべく、自説を要約、わかりやすく解説した著書を一七八三年に出すのですが、その本こそ、通常『プロレゴメナ』と呼ばれる『学として現われるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ』です。つまり、サヴァラン自身も単なる序文ではなく、本全体を要約する意味合いを持つアフォリズムであると自覚していたと思われるのです。
 
 こうした見解はピュドロウスキだけに留まりません。例えば、辻静雄『ブリア=サヴァラン「美味礼讃」を読む』(岩波書店)で辻は、「ブリヤ=サヴァランは何故有名になったのか」を説明する箇所で、「『ガストロノミー』という言葉を定着させるのに大いに力があった」からで、それは「教授のアフォリズム」に拠るところ大である。「これ以外のところは、あまり読んでも面白くてしょうがないという本でもないと、正直言って、そう思いました」(46頁)と書いています。
 
 このように、「美食批評」は「グルメ文学」ではありません。普遍化すれば、「批評」は「文学」ではないのです。こうした点から鑑みると、『ゴー=ミヨ』2018年版はコメントが長くなったのはよいが、文学的過ぎるきらいがあり、批評としては疑念を持たざるを得ないと言えるのです。その具体的な分析は会員頁にて、二例挙げてご紹介したいと思います。
 

第二十回
ワインリスト
――この悩ましくも愛おしいもの――

 春は新年度の始まりとして、様々な宴会が行われます。また、花見といった行事も盛んです。そうした場にワインが必ず出されるようになりました。例えば、筆者は教えに行っている専門学校の卒業式に出席しましたが、会場のホテル(千葉の海浜幕張)で行われた謝恩会ではワインも供されました。ホテルのエチケットの張られたヴァントゥー(ローヌ地方)でした。また、大学の学部の教員懇親会でもワインが出ました。以前はヴァン・ド・ターブルと言い、現在はヴァン・ド・フランスというフランスのテーブルワインです。どちらもフランスワインでした。
 
 まあ、宴会、パーティーは社交の場であって、飲食を主とする場ではありませんから、形式的に口をつけるだけで済みますし、そうしないとみっともありません。問題はそのあとです。卒業式の二次会は居酒屋。飲み放題で、その中にワインがありましたがさすがに手を出せませんでした。梅酒か何かでお茶を濁して、ではもう一軒となった時に、昔の教え子で現在は開業し、同窓会長を務める同僚の教員が気を利かせて、じゃあ関先生とワイン飲みに行く人といって総勢十数名ほどで移動することに。ここからが大変です。ワインの出る店を何店か知っているはいるものの、筆者が飲みたいボルドーやブルゴーニュを置いている店は海浜幕張の街場では(でも?)皆無に等しいのです。ホテルのラウンジは高くつきますし、大勢で行く場ではありませんので、今回は除外です。結果、イタリアンを中心としたダイニングバー的な店に。数は少ないもののワインリストがあるのを知っていましたし、前回訪れたときはボルドーが一種類あったのですが今回は載っていませんでした。この手の店は世界各国のワインがリストアップされているケースが多く、このスタイルは昨今あちこちで見かける「バル」的西洋居酒屋に共通していると言えましょう。
 
 筆者が考える昨今のワインリストの二つのパターンの一つ目は、この比較的リーズナブルなワインが世界各国からチョイスされているものです。この手のリストはいろいろな国、いろいろなブドウ品種のワインがリストアップされていますので、選択のバラエティがあり、楽しめるように思われます。しかし、実際のところ、飲み慣れた人でないとそれぞれの国、ブドウ品種の特徴を知っていませんので、リストに書かれている甘口、辛口、軽い、重いなどの指標を信じて頼むしかありません。例えば、上述の海浜幕張の夜では、まず一番リーズナブルな方からイタリアのサンジョヴェーゼを頼みました。スクリューキャップ。トスカーナで作られているとのことですが、複数年のワインをブレンドしているようでテーブルワインになっています。まあ、大人数なのでスタートとしてはこれでよいであろう、と。問題は二本目以降です。イタリアはもう一種類あったのですが、一番高いものだったので、少し値段を上げて、ピノ・ノワールを頼みました。ただし、ブルガリアのワインでした。従って、ブルゴーニュのような趣のものでは全然ありませんでした。ブルゴーニュを飲み慣れていてピノ・ノワールの通常の味わいを知っている方であれば、その偏差を感じつつ、ブルガリアのピノを楽しむことが出来るでしょう。しかし、これがピノ・ノワール初体験という方がピノ・ノワールってはこんな味なんだと思われたら、ちょっと困る気がしました。軸がないので混乱しそうです。三本目はさらに値段を上げて、アルゼンチンのマルベックにしました。値段を上げることでワインのグレイド上げ、かつ重いワインにしていく手法です。マルベックは元々、ボルドーの補助品種として知られ、さらに内陸に入った南西部のカオールでマルベック主体のワインを作ってはいるものの、昨今はアルゼンチンの赤ワインと言えばマルベックというくらいになっていますので、この味にピンときましたら、アルゼンチンワインと相性がよく、さらにカオールを飲んでいただければ自身の好みがわかるようになるかと思います。マルベックは濃厚なワインですのでこれで終わるつもりだったのですが、まだ飲み足りないと言われ、結局、そのリストで一番高価なボルゲリを頼むことになりました。まあ、一万円はしませんでしたが、学生たちは驚いていました。ボルゲリはトスカーナ地方の一地区ですが、サッシカイア、オルネライアといったいわゆるスーパートスカンを生み出した地区です。スーパートスカンはトスカーナの主たる品種であるサンジョヴェーゼ系ではなく、ボルドーのカベルネ・ソーヴィニヨンやメルロを中心にワインを作ることで名声を博しています。筆者の頼んだボルゲリもソーヴィニヨン、メルロ、シラーと記載があり、フランスのブドウ品種からなるワインでした。イタリアに戻ったのはいいのですが、余りにいろいろなブドウ品種が登場し、しかも本来の生育地ではない場所でのものが多く、とっ散らかった感じがします。いろいろなワインが飲めて楽しいのですが、「何を飲んでいいのかわからない」とよく尋ねられる理由の一つがこのようなリストにあるのも事実です。
 
 また、このようなリストには一、二本、他のものに比べ、随分お高いワインが恭しくリストアップされていることも多いのです。筆者の家の近くにあるイタリアンを謳う店は、確かにスパゲティがメニュにあるものの、アラカルトはフレンチに近く、地産地消の野菜を用い、リーズナブルで味もよく、時々使うのですが、やはりワインで悩んでしまいます。イタリア中心に6000円くらいまででほとんどのワインがリストアップされているのですが、何故か最後に突然、12000円のジュヴレ・シャンベルタンが載っているのです。東京で出かける店で頼むワインはだいたい一万円前後ですので変わりないのですが、近所では何だか場違いのようで頼む気になれません。筆者が貧乏性なだけかもしれませんが、先程のボルゲリ程度の値段で何か気の利いたワインをリストアップされた方がよいかと思います。
 
 さて、もう一種類のワインリスト。こちらが本来と言いますか、ミシュランで星を取るような店で出されるワインリストです。この連載で何回も書いてきましたように、昨今、この手のレストランは料理がほとんど「お任せコース(デギュスタシオン)」になっています。筆者がパリにいた二十年ほど前は、グランメゾンはアラカルトが当たり前。アン(オードブル)、ドゥ(メイン)、トロワ(デセール)の三皿をどう選ぶかが、美食家としての力量を問われる指標といってよい時代でした。デギュスタシオンで決められた料理を何皿も食べるのはお上りさんでしかないとみなされていたのを思うと、隔世の感があります。料理がもはや選べないのであれば、せめてワインだけでも自分でチョイスしたいと思うのが美食家ではないでしょうか。それまで、ワインペアリングで人任せというのであれば、何をもって、「美味しい」と評価する基準を自身で確信し、行使できるというのでありましょう。いずれにせよ、星を取るような店はそれなりのワインリストを必ずや作成しています。それを活用することが出来る者こそ、真の美食家、ワイン愛好家と言えましょう。
 
 では、このリストの特徴は何か。それは極めて明確かつシンプルです。フレンチであればボルドーとブルゴーニュ、イタリアンであればトスカーナとピエモンテの銘酒を、少なくともそのどちらか一方をそれなりの種類リストアップさせていることです。ただし、イタリアンで地方料理を謳っている場合、その地方のワインだけしか置いていない場合などあります。しかし一方、イタリア料理のグランメゾンはフランスワインの品揃えも立派な店がほとんどです(大阪の名店「ポンテヴェッキオ」の分厚いリストから筆者はボルドーワインを選んでしまいましたし、丸の内の「アンティカ・オステリア・デル・ポンテ」のフランスワイン揃いも良い見事なワインリストには感服しました)。
 
 その際の問題はまず価格設定でしょう。同じ一万円と記されたワインでも小売価格は店によって、また同じリストであっても違っています。ホテルであれば、3000円程度のワインが一万円でしょうし、個人店では場合によっては現在購入しようと思うと一万円以上するワインが一万円でリストアップされていることもあり得ます。ご存知のように、相場は小売価格の二倍です。従って、ネットなどで5000円で売られているワインが一万円であれば、妥当ということになります。価格が高くなれば、その倍率も低くなる傾向がありますので、一万円以下のワインは皆、倍付けなのに、リストで15000円のワインが一万円で売られているものであった場合、思わず考え込んでしまいます。
 
 しかし、レストランのワインリストで一番問題なのは、そのワインのヴィンテージです。ヴィンテージの良し悪しもそうですが、「飲み頃かどうか」というのが一番の肝です。ボルドー、ブルゴーニュ共に一般的に小売りされているものはヴィンテージが若い。つまり、飲み頃ではないということです。筆者が一番ガッカリするリストはいくら立派でも、ネットで普通に買えるワインが羅列されているものです。これはプロの仕事ではない。飲みたければ、ネットで買って家で飲めば済む話です。
 
 目を通してワクワクするワインリスト。それは、一般では手に入れられないワインがリストアップされているものです。それは銘柄だけではありません。まさにヴィンテージ。普通売られているヴィンテージより古いもの、つまり、飲み頃のワインが適切にリストに挙がっているかが問題なのです。しかも、とりわけブルゴーニュは各ドメーヌの生産量が少ないので、容易に手に入れられる銘柄でも古いヴィンテージを買うことはなかなか難しいのです。
従って、ワインの購入について上手に差配し、飲み頃の(古い)ワインを適正価格で手に入れるルートを持っている人物。あるいは、購入したワインを数年にわたり寝かせ、飲み頃になったところでリストアップさせることができるだけの容量を持つセラーとその管理の出来る人間を有するレストラン。本来、レストランのワイン部門にはこのようなセラー(カーヴ)とその担当の専門家が必要となるのです。そして、その人物こそが「キャヴィスト」と呼ばれ、ワインの「サーヴィス」担当のソムリエとは別に配置されるべきなのです。ただし、実際にはそこまでセラーを備え、人を雇えるレストランは皆無に近く、ソムリエが兼任するか、オーナー(シェフであれ、セルヴィスであれ)がワインを管理することになるのが実情です。
 

目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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