美食批評への誘い  Vol.16~

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第二十一回
星の数だけではない
――ギッド・グルマンの活用術

 届いた『ミシュラン パリ』二〇一八年版を一目見て、驚きました。「一目見て」というのはまさしく文字通りで、頁をめくるどころか、パッケージを開けて中身を取り出したところ、という意味です。では、表紙が「赤く」なかったとか。それはあり得ません。何故なら、件の『ミシュラン』は別名、「ギッド・ルージュ」、「赤いガイド(ブック)」と言われているからです。それは万国共通、『ミシュラン』東京版でも同じです。微妙にデザインは違うのですが。例えば、パリ版の表表紙には写真(料理と店の内装)が掲載されていますが、東京版にはないという風に。もちろん、パリ版の写真も以前はありませんでした。しかし、「赤いガイド」であることには変わりありません。
 
 「ギッド・ルージュ」である必要性は、もう一つのミシュランガイド「ギッド・ヴェール」、「緑のガイド」の存在があると言えましょう。「ギッド・ヴェール」は「観光地」を三つ星で評価するというガイドで、「ギッド・ルージュ」の「ホテル・レストラン」の格付けとは異なるものです。第一冊目は、一九二六年、「フランスブルターニュ」編であったとミシュランガイドのHPには記されています(https://www.michelin.co.jp/JP/ja/guides-goods/green-guide.html)。
九つの評価基準からなる星の指標は、三つ星「わざわざ旅行する価値がある」、二つ星「寄り道する価値がある」、一つ星「興味深い」となっており、例えば、日本に関しては、日本を訪れる外国人観光客向けのため、フランスで出版されたフランス語の第四版(二〇一五年六月)が現時点では最新とのことです。従って、日本語版は存在しません。日本全国が取り上げられています。そして、例えば、「東京」は三つ星で、その下位区分として、「浅草」が二つ星で、「上野とその周辺」は三つ星といった風に。さらに、「上野」の中でも「東京国立博物館」は三つ星で、「国立西洋美術館」は一つ星とスポットによって格差があり、「東京国立博物館」の収蔵品の中でも、「孔雀明王像」は三つ星ですが、「地獄草紙」は二つ星と細かい。つまり、その地域の一番下の区分(上野であれば、美術館の収蔵品)の最高の星の数がその地域の星の数となるというシステムです。ですから、「浅草」のそれぞれのメルクマールには三つ星がないのです。浅草寺、スカイツリー共に二つ星なのです。
 
 話を戻して、このような「ギッド・ヴェール」とは別に、ホテル・レストランガイドとして「ギッド・ルージュ」は存在しています。一九〇〇年の創刊、一九二六年に料理を提供するホテルを星付きで表示するようになったのがきっかけで、一九三一年に三つ星方式が採用され、一九三三年からパリ版にも採用されたそうです。これによって、覆面調査員による評価というシステムも確立されました。
 
 さて、こうなると一見して異なる異変とは。そう、本の大きさが変わってしまったのです。今年、『ミシュラン 東京』二〇一八年版は刊行時(二〇〇八年版)から変わっておらず、その大きさ(縦19㎝、横11㎝)はパリ版の大きさでした。香港・マカオ版、ソウル版も同じ大きさです。ところが肝心のパリ版の大きさが違っていたとは!少なくとも、一九九四年に初めてのパリへの海外研究の折、買い求めた一九九四年版以来、毎年買い続けてきたパリ版の大きさが変わってしまったのは驚きでした。ちなみに、その大きさとは縦は19㎝で変わらず、横が13㎝と長くなり、いわば新書版から叢書版へと変更になったとでも言えましょうか。
 
 旧来の新書型の判型は、実際ガイドとして携帯するのに便利なものです。今でこそ、厚さがありますが(二〇一八年版は2㎝)、一九九四年のパリ版はハードカバーながら厚さは8㎜。実に薄くて、持ち歩いても苦になりませんでした。頁数は224頁で、今年のパリ版は528頁です。しかも、現在のパリ版はレストランだけで、ホテルの掲載はありません。東京版でもおまけ程度とはいえ、ホテルが評価されているのに、です(390頁中、ホテルは30頁ほど)。何故、こんなに違うのか。それは当時、ミシュランはコメントを一切掲載していなかったからです。レストランの場合、住所、電話、ファックス、定休日、星をはじめとした様々な記号、食事の値段の目安。これがベースです。星付きの店には、スペシャリテが二、三、紹介され、シェフの名が。例えば、リュカ=キャルトン(サンドランス)といった具合に。従って、一つの店が四行から七行程度で記載されているのです。ホテルも同様で、一頁に十店舗以上掲載されています。また、当時はレストランとホテルがほぼ同等の頁数でした。
 
 パリ版のギッド・ルージュがコメントを掲載し、レストランへと特化して行ったのは世紀が変わった二〇〇〇年、ミシュランガイドが百周年を迎えた頃だったと記憶しています。手元にある一九九八年版は九四年版と同じくコメントがありませんが、二〇〇三年版は書式は同じであるものの、どの店・ホテルにも三行ほどのコメントが添えられています。おそらく、当時はやはり実際持ち歩いて活用するのが目的だったのでしょう。しかし、今年のパリ版から窺われるのは、読み物、まさに「ガイド」というよりは「本」としてレストラン評を読んで学び・楽しむものに変遷していったと思われます。それはSNSの進歩で、実際の店探しにはスマートフォンなどを活用しているからに違いありません。
 
 さて、新しい判型の『ミシュラン パリ』二〇一八年版の「内容」で筆者が注目したのは、星やビブ・グルマンといった「料理の評価」と並ぶ、カトラリーマーク(スプーン・フォークマーク)の消失です。東京版には依然として用いられています。これは「快適度」の評価を表わすもので、「適度な快適」の一つから「豪華で最上級」の五つまでの五段階で評価されています。また、通常の黒ではなく、「赤の表示は特に魅力的」であることを表わすとされています。実は、この「快適度」、ホテルと共通の評価基準なのです(ホテルは「メゾン(邸宅)マーク」で表示)。というか、ホテルの評価基準はこの「快適度」しかありませんので、ホテルの評価には必須でも、もはやホテルの掲載のないパリ版には必要ないとも言えるのです。
 
 実際、筆者が毎年購読している他の三つのパリのレストランガイド、『ゴー=ミヨ』、『ルベ』、そして『ピュドロ』で、料理の評価と快適度の評価という二つの評価基準を立てているのは『ピュドロ』だけ(皿マークとカトラリーマーク)で、『ゴー=ミヨ』も『ルベ』も快適度に該当する評価記号はありません。ちなみに、『ゴー=ミヨ』パリ版は昨年から隔年になってしまい(二〇一七/二〇一八年版)、いよいよ紙媒体の肩身の狭い時代になって来たと言えるではないでしょうか。
 
 では、『ミシュラン』パリ版は「快適度」の評価をなくしてしまったのかといえば、そうではありません。マークの代わりに「ワンフレーズ(形容詞)」評価方式にしたのです。例えば、「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」(三つ星、八区)は「リュクス(豪華)」、「ピエール・ガニェール」(三つ星、八区)は「エレガント(優雅)」。「エレーヌ・ダローズ」(一つ星、六区)は「コンタンポラン(現代的)」。フランス人のご主人がセルヴィスを担当し、奥様で日本人の「サクラ・モリ」が料理を担当する「ココロ」(ビブ・グルマン、五区)は「コンヴィヴィアル(打ち解けた、フレンドリー)」といったように。
 
 筆者はこの評価方法はカトラリーマークより「良い=優れている」と考えます。例えば、前年のカトラリーマークでは「デュカス」は「赤五つ」、「ガニェール」は「赤四つ」でした。では、その「赤一つ」の違いが「リュクス」と「エレガント」の違いかと言えば、そうではありません。「ギー・サヴォワ」(三つ星、六区)は「赤四つ」でしたが「リュクス」、「グラン・ヴェフール」(二つ星、一区)は「赤四つ」でしたが「クラシック(古典的)」。つまり、「快適度」というより「雰囲気」とでも言いましょうか。カトラリーマークでは、同じ数でも雰囲気がまったく異なっている場合があります。また、黒と赤の違いもイマイチ分かりづらい。例えば、「黒五つ」と「赤四つ」ではどちらがより「快適」なのかと聞かれても「黒五つ」と即答出来ないように思われるのです。
 
 このように内容を細かく見てゆけば、星だけが評価の対象でないことは明らかです。また、判型が変わったということは、レイアウトも変わったことになります。パリ版の場合、星付きの店は一頁、他の店は一頁に二軒というのが原則で、それは変わっていません(東京版は一頁に二店舗)。ということは一頁の面積は(横に)広くなったのですから、コメントが長くなったかと言えばそうではありません。星付きの店の場合、写真が内装と料理の二種類使われるようになったのです。また、一頁に二店舗の場合、以前は上下に半分ずつだったのですが、今回は左右に一店舗ずつ、つまり二段組になりました。そして、少数の店で写真が一枚、上部に掲載されています。ということは、ほとんどの頁で下三分の一ほどが空白になっているのです。従って、正直、頁をめくっていくと空白が目立ち、ちょっと間抜けな感じがします。やはり、ギッドである以上、無駄のない合理性をレイアウトにも期待したいところです。
 
 こうして、『ミシュラン パリ』は今年、新たな一歩を踏み出したということが出来るでしょう。これが東京版など他の都市のギッドにも反映されることになるのか。また、これはひと時の気まぐれで、再び以前のようなスタイルに戻るのか。ホテルに関しては載せたり、載せなかったりの時期があり、現在はレストランだけに落ち着いています。ギッドも時代と共に変化していくのです。料理に流行が、レストランに浮沈が付きものであるのと同様に。大勢が変わらなくとも、その微妙な差異を察知するためにも、毎年、新たなギッドを手にしてしまう自分がいると言ってよいでしょう。
 

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第二十二回
外でワインを飲む際の指針

 昨今はお酒の出る店では必ずワインが置いてあるかと思います。例えば、ファミレスでもワインは四分の一ボトル(180㎖)が置いてあるはずです。大戸屋のような和定食チェーン店でもパリゾの四分の一ボトルが置いてあり驚きました。かつては、居酒屋にワインが置いてある方が珍しく、置いてあってもデリカメゾンといった外国製ワインを日本でブレンドしたという怪しげなワインがあればましだったのですから隔絶の感があります(例外として、天狗という大衆居酒屋チェーンはその当時、自社輸入のリオハがハーフボトルで置いてあり、1000円くらいだったと思いますが、まごうかたなきリオハであり、救われる思いでした。現在で言うと、サイゼリアの1000円のキャンティのボトルに該当するのではないかと思われます)。しかも、最近は居酒屋も「肉バル」といったジャンルのシャルキュトリー(ハムやソーセージの肉の加工品を中心にパテやテリーヌなど総菜をも含む)を軸にメインが肉料理を謳う西洋風居酒屋が多くできています。当然、そのような店ではワインも売りの一つになっている訳です。そこで、レストランに限らず、「外で飲む際にどのようなワインを選べばよいか」といった質問を受けることがよくあります。
 
 すでに書いてきましたように、昨今はSNSの普及で、外食の際注文したワインをその場で検索すればネットでだいたいいくらで売っているかがすぐわかってしまいます。そして、だいたい小売価格の二倍から三倍の値付けになっていることに気付き、ガッカリすることになるのです。3000円で飲んでいるワインが1000円を切るか切らないかで、しかもそこら辺で買える訳ですから。5000円ですと2500円前後、10000円でしたら5000円。ワイン好きの方なら、ちょっと考えてしまいます。それなら、5000円で買って家で飲んだ方が二本買える、と。そこで例えば、筆者のワイン仲間でボルドー好きのS弁護士は、自身の弁護士事務所で、皆でボルドーを一本ずつ持ち寄ってのワイン会を不定期に催してくださっています。しかも、どのワインもグラス一杯は飲めるような人数の会です。顔の広いS弁護士は落語家、音楽家といった様々なジャンルのゲストを迎えて下さり、筆者のような常連のメンバーはいつも新鮮な思いでボルドーワインに接することが出来、感謝しています。そして、年一回恒例で、ワイン仲間で伊香保温泉のホテル木暮の若女将木暮美奈子ご夫妻の御好意により、貴賓室に皆で宿泊し、ワイン合宿と称し、泊りがけでワインを楽しむのです。この際はワインも奮発し、今年はS弁護士がシャトー・オーゾンヌ、筆者はシャトー・カロン・セギュール1979年とシャトー・セルタン・ド・メ1985年を持参した次第です。
 
 そのようなS弁護士と先日、ワイン会にゲストで来られたフリーアナウンサーの五戸美樹さんが本を出され、高田馬場の芳林堂書店でトークショーがあるというので出かけました。気の利くS弁護士は終了後、店を予約してあると。高田馬場でワインかとそれこそ「肉バル」系を予想していると、落ち着いた清楚なリストランテへお連れ下さったのでした。その店「フラットリア」はレストラン=リストランテに相応しい料理・ワイン・セルヴィスのレヴェルを持つ学生の街高田馬場では珍しいメゾンだと感心した次第です。司法書士のご友人と三名で伺ったのですが、例えば、パスタを何かシェアして食べたいと告げると、シェフがワインに合うと思うのでポルチーニなどいかがですか、とメニュにないものを勧めてくださり、これがまた美味しい。さらに、メインにご友人が牛肉が食べたいとおっしゃるのでメニュを見るとなんとポルチーニのソース。どうしようかとセルヴィスに告げるとシェフを呼んで下さり、じゃあゴルゴンゾーラのソースに替えましょうと対応。ブラヴォ!これぞ、リストランテ。
 で、シェフがそのようにマリアージュを考えて下さったワインとは?筆者が選んだのは、ダンテ・リヴェッティのバルバレスコ2006年でした。なかなか立派なワインリストの中で決して高い方ではないもので10000円ほどでした。選んだ理由は司法書士の方が仕事の都合で車で来られていたので、S弁護士と筆者の二人で飲むことに。従って、なるべくスムースに飲み進められるこなれたオーソドックスなイタリアワインを限られた予算の中で考えるとこれしかないというのがこのバルバレスコだったのです。ソムリエにお世辞か、素晴らしいワインを選んで下さったと言われ、この店ではリストの前の方にあるワインではないかと恐縮した次第。
 
 ここに筆者の考える「外でワインを飲む際の指針」が示されています。つまり、「どのような店であれ、『一万円』前後のワインを選ぶべし」というものです。肉バルであれ、レストランであってもミシュラン一つ星クラスであれば該当します。例外は、ホテルとミシュラン二つ星以上のグランメゾンか、と。これらは値付けが三倍以上ですから厳しいものがあるか、と。しかし、例えば、帝国ホテルも「ラ・ブラスリー」の方であれば、ピエール・アンドレのジュヴレ・シャンベルタンが12000円。海浜幕張のホテル・ザ・マンハッタンのメインダイニング「ベラ・ルーサ」のルロワのブルゴーニュが12000円。場所柄とは言え、ルロワは東京の普通のレストランより安いくらいかも。
 
 また、肉バルのような居酒屋に近い店でもワインは同じ価格帯で提供されています。それは料理とは違いワインは仕入れ値がほぼ一緒だからです。例えば、筆者の務める大学近くの神保町のその手の店で、アンリ・ボワイヨのブルゴーニュが8800円でした。小売価格が3500円くらいのワインですから、ちょっと値付けが高いように思われました。7000円くらいが妥当か、と。ただし、このワインがこの店では最も高かったように、おそらく上限が一万円くらいでしょうから、店で最も高い値段のワインを選ぶことになります。また、その店では同じブルゴーニュ地方で作られているワインでも、AOP(以前のAOC)ではなく、その下のIGT(以前のヴァン・ド・ペイ)表記でピノ・ノワールと品種名を明記したワインを4000円台で置いていました。通常はこちらを店では勧めているようです。試しにそちらも飲んでみましたが、やはりボワイヨのブルゴーニュで正解でした。
 
 そして、さらに付け加えるなら、同じ一万円でもフランスならボルドーかブルゴーニュ、イタリアならトスカーナかピエモンテといったように王道のワインを選ばれることをお薦めします。大阪の北芝にある「ベニエ」はカウンターの目の前でイケメンシェフが揚げてくれるフレンチ串揚げの店で、内装もお洒落で女性に大人気です。新大阪駅からタクシーで15分もあれば店に着きますので、まずは着いたその足で「ベニエ」でランチして、夜は本格的にフレンチというのが筆者の大阪入りの定番です。ワインリストは世界各国のものがリストアップされており、デュジャックのポピュラーな方のモレ=サン=ドニが一番高く13000円ほどでお薦めですが、前回は切れてしまっていました。ブルゴーニュは他にアルヌー・ラショーのピノ・ファンがあったのですが、ありきたりで飲む気にならず、するとソムリエ氏がリストにない2011年のバルバレスコを勧めてくれました。仕方ないと思いつつ、飲んでみると程よくこなれていて、これが美味しい。適度な酸が油っぽさをさっぱりさせ、串揚げに合う。8000円でしたので、こちらの方がモレ=サン=ドニよりマリアージュ的にも妥当と思った次第です。
 
 ところで、イタリアワインでトスカーナと言えば、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノにとどめを刺すかと思いますが値が張りますので、一万円前後でお薦めはヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノです。この長い名前のワインは、プルニョーロ・ジェンティーレというはたまた舌を噛みそうな名前の葡萄から作られています。ブルネロ種がキャンティのサンジョヴェーゼ種の亜種であるように、プルニョーロ・ジェンティーレも同じサンジョヴェーゼの亜種です。「ノビレ」は「ノーブル」、「ジェンティーレ」は「ジェントル」とワインの名前にもブドウ品種にも「高貴」な「上品さ」が記されているのにふさわしいエレガントなワインだと思います。ちなみに、このワインのモンテプルチャーノは地名。ポピュラーなイタリアワインのモンテプルチャーノ・ダブルッツォのモンテプルチャーノはブドウ品種の名前ですのでお間違いなきよう。また、ピエモンテのネッビオーロと言えば、バローロかバルバレスコでしょうがこれも値が張る場合が。そんな時は「ゲンメ」、「ランゲ」、さらには「ガッティナーラ」といった銘柄のネッビオーロを選んでみたらいかがでしょう。
「外でワインを飲む」際に、「どのような店であれ、『一万円』前後のワインを選ぶべし」という指針に沿って飲み進めて行けば、ワインを評価する際のある種の「基準」がきっと得られると筆者は考えます。美味しい料理と共に、サーヴィス、グラス等ワインを楽しむ環境も整った外食でワインを堪能しつつ、確実にワインを「知る」ことにも配慮するのが「美食家」として賢明な在り方ではないでしょうか。
 
付記 
本校執筆中に「テング酒場」という居酒屋に連れて行っていただく機会を得ました。本文にもあるあの「天狗」チェーンの別ヴァージョンとのこと。昔ながらの「天狗」も健在とか。ワインリストがあり、それを見てビックリ。あの懐かしいリオハはフルボトルで1980円と昔と同じ値段で出ていました。問題は3980円で最も高いボトルが二種類あり、それがブルネロ・ディ・モンタルチーノとバローロだったのです。目を疑いました。どちらも普通のイタリアンでは一万円越えの銘柄だからです。偽物かと調べてみるとブルネロの方はアメリカで、50ドルほどで売られていました。バローロに至ってはまったく同じワインがサッポロビールでも輸入されていて、6500円の小売価格が提示されていました。もちろん、両ワインともあのリオハと同じく、自社輸入のなせる業だと店の方の弁。まさしく、「天狗、恐るべし」。ただ、グラスがお猪口に毛が生えたような代物で、折角のブルネロもバローロも全体の味わいは確かに本物だとわかるものの、香りも味の複雑さも感じ取ることが出来ず、折角のワインが可哀そう。マイグラス持参で出向かないとダメですね、とお連れ下さった方たちと妙に話が一致した次第です。
 

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第二十三回
ワインづくりの思想からワイン飲みの思想へ
――麻井宇介『ワインづくりの思想』(中公新書 2001年)再読――

 ピュドロウスキの翻訳をこの夏仕上げる予定で作業する毎日。調べ物をするため、書棚の美食関係のスペースを探索していると、一冊の懐かしい本を見つけました。麻井宇介『ワインづくりの思想』(中公新書 2001年)。麻井氏は本名、浅井昭吾。一九三〇年生まれで、メルシャンの醸造責任者を務めました。山梨大学で後進の育成にも熱心に取り組み、現在の日本ワインの基礎を築いた人物として知られています。麻井宇介のペンネームを用いての文筆にも才能を発揮し、世界のワインを日本で比較的早い時期に考察した『比較ワイン文化考』(中公新書 1983年)は名著の誉れ高く、当該の『ワインづくりの思想』は公刊の翌二〇〇二年に麻井氏が亡くなったこともあり、氏の遺著としてその生涯の最後を飾る名著と言えましょう。
 
 今から二十年近く前の本を今回取り上げようと思ったのは、もちろん、その内容に考察すべき多くの事柄があるからに他なりません。しかし、また麻井ブランドは現在も健在で、二〇一〇年に公刊された河合香織氏によるノンフィクション、『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』は映画化が決まり、この二〇一八年十月に公開予定です。現在の日本ワインを牽引する醸造家たちは自らを「ウスケボーイズ」と名乗り、麻井氏に受けた薫陶を記憶に刻み込んでおこうとしています。それこそが「ワインづくりの思想」であったと筆者は考えます。
 
 では、その「ワインづくりの思想」の何が今回筆者に筆を執らせたのか。その理由の第一は、まさしくこの本のタイトルそのものに明らかであると考えられます。この著者は謙虚な方なのか、それとも野心家なのか。実はこの本のタイトルはそのどちらとも採れる実に巧妙な命名であると評価できるのです。ポイントは前半の「ワインづくり」にあります。醸造家であるが故に当然と考えるなかれ。確かに、ワイン「全般」ではなく、あくまでワイン「づくり」に限っての思想なのだ、と理解するのが順当でしょう。しかし、この本は「新書」、つまり専門書ではありません。また、柴田書店など飲食関係専門の出版社から出されたわけでもない。中公新書という歴史の権威のあるいわば「啓蒙書」の一冊として出版されているのです。従って、買う側も「ワインづくり」とあるが「ワインの思想」として理解するのではないでしょうか。何故なら、同新書に例えば、文字通り『ワインの思想』とか、あるいは『ワインサーヴィス(=ソムリエ)の思想』といった本があるわけでもないからです。つまり、この本を手に取り読もうと思った読者は「ワイン全般の思想」を知ろうとして本書を購入したと考える方が自然ではないでしょうか。
 
 さらに百歩譲って、「ワインづくりの思想」が「ワイン全般の思想」と一致していれば、それは問題ないと言えましょう。野心的であるとは、「ワインづくりの思想」がまさしく「ワインの思想」に他ならないと著者が考えていたら、それこそが「野心的」と言えましょう。そして、筆者が問題にしたいのは、二十一世紀を迎えてすぐに書かれたこの本の思想が「ワインづくり」に関してはまさしく真実で、かつ現在に至るまでその影響力を持ち続けているのも事実ではあるものの、それはあくまで「ワインづくり」に限定されるべきで、「ワイン全般」には当てはまらないと考えられることです。それどころか、「ワイン飲みの思想」からすれば、大いに問題ありと言わざるを得ない、ということです。そこで、筆者は「ワインづくりの思想」と並んで「ワイン飲みの思想」の必要性とその核となるテーゼが「ワインづくりの思想」とは対照的であることに言及したいと思うのです。もちろん、どちらか一方が正しく、他方が間違っているという訳ではありません。おそらく、「ワイン(全般) の思想」といった総括的なものは存在せず、「ワインづくり」、「ワインサーヴィス」、「ワイン飲み」などなどそれぞれの立場からのワインへのアプローチがあり、それらの相違を差異として自覚認識して行くことで、「ワイン全般」へのパースペクティヴが拓けて来るのではないでしょうか。それはある種の矛盾を抱えたままであるにもかかわらず。
今回、筆者が問題視したいのは、麻井氏が二十一世紀を迎えて、「ワインづくり」が評価されるべき到達点、一言で言えば、「『宿命的風土論』を超えて」(12頁)が「ワイン飲み」からすれば、少なくとも誤解を招きやすい危険性があるということです。この際、「宿命的風土論を超える」とは、「ボルドー、ブルゴーニュの時代は終わった」と言い換えることが出来るでしょう。実際、この本はその冒頭、当時のワインの到達点を実際その目で確かめようと、著者が一九九九年四月にニュージーランドを訪れるところから始まっています。彼が目指したのは、クロアチアからの移民の末裔で弁護士出身のジェームズ・ヴルティッチ氏が一九八九年に設立したワイナリー。世界中の注目を集めることになった「プロヴィダンス」を自ら醸造を手伝いながら、その真意を読者に伝えようとの著者の使命さえ感じられます。
「プロヴィダンス」は現在もニュージーランド、いや世界を代表する高級赤ワインの一銘柄です。価格は一本二万円ほどで、高騰することもなく、ほぼこの値段で推移しているのは現時点からすれば有難いことです。ボルドー、ブルゴーニュの銘酒の高騰ぶりは目に余るものがありますので。「プロヴィダンス」のセパージュは、メルロを中心にカベルネ・フラン、マルベックとボルドー右岸(サン=テミリオン、ポムロール)のワインのスタイルと言ってよいでしょう。ちなみに、一九九六年からはシラー100%のワインも作っていて、こちらはコート・デュ・ローヌ、コート・ロティやエルミタージュといった銘酒に相当します。つまり、麻井氏が伝えたいのは、二十一世紀にあたり、ワインは世界の「何処でも」「きちんと」作ればボルドー、ブルゴーニュに匹敵するものを作ることが出来る。ボルドーという「風土」でなければ、あの味は出せないというのは幻想、少なくとも、もはや過去の話に過ぎない、と。ここから結論付けられるのは、「日本ワイン」の可能性であり、まさしく「ウスケボーイズ」は麻井氏の遺志を体現してくれていると言ってよいでしょう。
 
 ここで留意すべきなのは、ヴルティッチ氏のように「きちんと」作ることの必要性です。これはボルドー、ブルゴーニュでも同様で、著者が初めてワインを買い付けにボルドーを訪れた一九七四年当時のボルドーワインの品質の悪さを著者は回顧しつつ、その後、志あるオーナー、醸造家たちがいかにワインの質を高めるべく努力してきたかが記されています。それは高度な技術に頼りすぎないこと。まさしく「つくり手」の顔が見えること。それは、ステンレスタンクではなく、木桶の復活に象徴されています。ブルゴーニュの大手メゾン、ルイ・ジャド社が一九九七年に新設した醸造場はステンレスタンクの真ん中に真新しい木桶が設置され、「グラン・クリュやプルミエ・クリュの仕込みは、昔ながらの方法を最新鋭のワイナリーの中で守っているのであった」(313頁)。「木桶はボルドーの偉大なシャトーでも続々復活している。それは進歩と信じた事柄に疑問を抱いたからだ。微生物工学的に合理性を追求した結果は、凄いワイン、複雑で深みのある味わいにはとても到達できない」(同上)。「昔にかえる」のは「おいしさ」を取り戻すためだと、著者は結論付けます。ここから帰結する現在の傾向こそ、「ビオワイン」ブームではないでしょうか。つまり、現在の「日本ワイン」、「ビオワイン」ブームは麻井氏のこの本を読み直すと、予言通りにというより、必然的帰結として理解されるのではないでしょうか。
 
 では、何故、筆者は麻井氏の卓見に異議を唱えたいのか。それは、論理的に「も」矛盾のある一点に絞られるでしょう。「昔にかえるのは美味しさを取り戻すため」というとき、「昔にかえる」に「ボルドー、ブルゴーニュへの回帰」が何故含まれないのか。百歩譲りましょう。「ワインづくり」の方々はボルドー、ブルゴーニュを学ばれて、現在のグローバルなワイン環境を創って来られた。もはや、元の鞘に戻る必要はない。何故なら、ボルドーを飲まずして、日本ワインでそれは体験できるから、と。しかし、「ワイン飲み」からすれば、ボルドー、ブルゴーニュを飲まずして、日本のメルロだけを飲んで、これがポムロールと同じ味なのね、と言えるでしょうか。あるいは、「ビオワイン」だけを飲んで、これがワイン(一般)の「美味しさなのね」と言えるでしょうか。
 
 つまり、基礎なくして、応用はあり得ないということです。「ワインづくり」の方たちは、ボルドー、ブルゴーニュを「必ず」通り抜け、即ち、その基礎の上に「今」が在るのかもしれませんが、現在の「ワイン飲み」は「日本ワイン」、「ビオワイン」から始めて構わないのです。これでは、「イノヴェーティヴ」と称して、フランス料理の素養もたいしてないのに、「新種の」フランス料理「風」の料理を出す輩、それに飛びつくスノッブなグルメという状況と類似してしまうのではないでしょうか。
 
 そこで筆者は、「ワイン飲みの思想」を提唱したいのです。それはまず、「ボルドー、ブルゴーニュを出来るだけ極めよ」というものです。もちろん、イタリアワイン好きであれば、「ピエモンテとトスカーナを極めよ」でありますし、白ワイン愛好家であれば、「ブルゴーニュ、アルザス、ドイツを極めよ」とか、ともかく基礎を固めることです。その際、高価なワインにとらわれる必要はありません。よくお考え下さい。プロヴィダンスは二万円です。これで不味ければ困ります。また、このようなワインばかり飲んでいたら、一般人は破産します。そうではなく、数千円の範囲内で、メドックであれば、例えば、ポイヤックを中心に据え、マルゴー、サンジュリアンとの違いをそれぞれ多くのシャトーワインを飲み比べて体得することです(詳細な方法は改めて教示します)。ブルゴーニュであれば、出来るだけ多くの村名ワインを飲み、まずはコート・ドールのニュイとボーヌの二地区の違いを体得することです。リブールヌのワインの全体像がつかめれば、プロヴィダンスを飲んで、それがどのような位置づけになるのかは簡単にイメージ出来るでしょう。ただし、「逆も真なり」ではありません。
 
 「ワイン飲みの思想」の確立。それは「美食批評」の重要な課題の一つであることが、『ワインづくりの思想』を再読することで明らかになりました。読み返すたびに「問い」を投げかけてくる書物。それこそが「名著」だと筆者は考えます。
 

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第二十四回
追悼 ジョエル・ロビュション 
――フランス料理の国際化と一時代の終焉――

 二〇一八年は、フランス料理界、いや、世界の美食家にとって悲しい年となりました。一月にポール・ボキューズ氏が亡くなり、この八月六日にはジョエル・ロビュション氏が逝去されました。七十三歳でした。その死去の報にはいくつかのソースがあるようで、その一つに、AFP通信(フランス通信社)のものがあるのですが、そこには、「友人の料理評論家ジル・ピュドロウスキ氏はAFPに対し、ロブション氏は新たなレストランの開店を予定していたスイス・ジュネーブで、膵ガンにより亡くなったと説明」とありました。筆者が目下翻訳中のピュドロウスキの名が思わぬところで登場し、感慨深いものがありました。しかしまた、このピュドロウスキの発言はロビュション(以下、敬称略)のフランス料理界におけるその画期的意義を端的に指摘するものであり、それこそがボキューズとロビュションのその功績の相違に繋がると考えられます。本稿ではそれを考察することで、両氏の偉大さを偲ぶこととしたいと思います。
 
 この二人がどれだけ他に抜きんでていたか。それを確認するには、一九八六年に出版され、一九八八年に邦訳されたアンリ・ゴー『フランスのレストラン ベスト50』(佐原秋生訳、柴田書店)を参照すれば、一目瞭然です。この本はゴーがクリスチャン・ミヨと袂を分かち、独立して(一九八五年)すぐに書かれたものです。ゴーは二〇〇〇年に七〇歳で亡くなりました。また、ミヨは昨年(二〇一七年)八月五日に八十八歳で亡くなっています。一九六九年に創刊され、一九七二年に現在に至る年度版となった『ゴー=ミヨ』が推進した新しいフランス料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)はロビュションの逝去と共に一時代の終焉を迎えたといって過言ではないでしょう。
 
 というのも、上記の著書のタイトルが端的に表わしているように、ゴーは当時のフランスのレストランを格付けしたのですが、第一位はロビュションで、第二位がボキューズでした。そして、ボキューズの評価に以下のような一節を見出すことが出来るのです。「ヌーヴェル・キュイジーヌの法皇」、「ヌーヴェル・キュイジーヌの創始者」たる「この皇帝〔ボキューズ〕は、キュイジーヌ・モデルヌの正統な教皇〔ロビュション〕に次ぐ、第二位にしかならない」(邦訳、五六頁)。ボキューズに対して、「法皇」、「創始者」、「皇帝」と称号が複数言い換えられています。それに対し、ロビュションは「教皇」。直接の文脈では、ボキューズが「皇帝」でロビュションが「教皇」。カトリック世界から言えば、「教皇」は現世における神の代理である「教会」の頂点ですので、皇帝より上に位置します。政治的に力があるのは皇帝であるが、格が上なのは教皇といった関係。つまり、当時、フランス料理界で圧倒的に政治力のあったのがボキューズで、料理の実力はロビュションがピカ一という評価と読むことが出来るでしょう。
 
 しかし、それより気になるのは、ボキューズに対しては「ヌーヴェル・キュイジーヌ」、ロビュションに対しては「キュイジーヌ・モデルヌ」と使い分けられていることです。ヌーヴェル・キュイジーヌは「新しいフランス料理」で、『ゴー=ミヨ』が提唱したもの。では、「現代フランス料理」と訳せるキュイジーヌ・モデルヌとは、何か。そのヒントは、『フランスのレストラン ベスト50』から数年後、同じゴーの編集によって日本で編まれた『ヨーロッパ天才シェフ群像』(一九九四年、学研)に見出されます。この本は、「現代料理の先駆者たち」、「円熟の実力者たち」、「若き天才シェフの群れ」、「ヨーロッパの巨匠たち」と四つのパートに分かれているのですが、注目すべきは、ボキューズもロビュションも「先駆者たち」に分類されていることです、ボキューズの「現代料理の先駆者」は理解できるのですが、年が二十歳も違う(正確には十九歳)、ロビュションが「先駆者」とは。そして、ロビュションの項を読んでみると次のような一節に出会うのです。
 
 「かつてヌーヴェル・キュイジーヌの申し子といわれたロビュションは、ヌーヴェル・キュイジーヌの退潮のなかで、とりわけジャマンの開店後は、意識的に自らの料理を《キュイジーヌ・モデルヌ》と称するようになったが、その命名自体にはほとんど意味がない。なぜならば、《ロビュションの料理》というだけで、すでに十分すぎるほどのアイデンティティーをもっているからである」(七八頁)。また、こうしたロビュションの料理をゴーは「序にかえて」で、「フェルメールの絶対芸術でもって仕事をする」と評しています(一一頁)。
 
 「キュイジーヌ・モデルヌ」はロビュション自身による命名と判明しました。しかし、皇帝(ボキューズ)と教皇(ロビュション)の比較は本当に不可能なのでしょうか。筆者は、彼らの亡くなった場所がその違いを象徴していると考えます。もちろん、ボキューズは高齢で、パーキンソン病の療養中であったことは事実ですが、彼が亡くなったのは、リヨン郊外コロンジュ・オー・モン・ドールにあるレストラン兼自宅だったのです。ボキューズ家は代々レストラトゥールを家業としており、その歴史は十七世紀まで遡れるといわれています。コロンジュに居を構えたのは一七六五年、それ以来ボキューズ家はこの地を離れたことはないそうです。『フランスのレストラン ベスト50』で、「ボキューズは『決して』店にいないと軽率にも書いた者がいた」(五六頁)、『ヨーロッパ天才シェフ群像』では「多忙を極める」(五〇頁)と書かれたボキューズにはあくまで帰る家があったのです。では、何故、ボキューズは世界中を飛び回っていたのか。それは、フランス料理の伝道師、親善大使としてその役を全うしなければという責任感からと筆者は考えます。
 
 フランス料理が一文化現象として世界的規模で展開するには、先人の多大なる努力があってのことだということです。まず、戦後、フランス国内でフランス料理の文化的意義を啓蒙したのが、グラン・ヴェフールのレイモン・オリヴィエでした。積極的にテレビに出演し、アメリカナイズして行く文化に対して、文献収集家としても有名であったオリヴィエはフランス料理のすばらしさを説いたのです。そうしたフランス国内でフランス料理が世界に通用する文化財であることが認識された上に、ボキューズがヌーヴェル・キュイジーヌを引っ提げてフランス料理を世界に広めたのです。「ヌーヴェル=新しい」とは、伝統的なそれまでのフランス料理を世界中の誰が食べても美味しいと頷く洗練された料理へと「昇華」すするということではなかったでしょうか。あくまでそのルーツはその料理の生まれた土地にある。つまり、コロンジュでこそ、ボキューズ最良の料理は味わえる。それが「市場(マルシェ)の料理」とボキューズが説いたもの、いわば「地産地消」です。実際、ボキューズの後に続く世界的シェフで、人里離れた辺鄙な場所で店を構え、世界中から人々がその料理を目指して訪れるという光景はよく見かけられます。ソムリエナイフで有名なラギオールに店を構えるミシェル・ブラス、ヴェズレー近郊サン・ペール村のマルク・ムノーの「レスペランス」、サヴォワのマルク・ヴェイラもそうでしょうし、最近ではオーヴェルニュ地方、サン=ボネ・ル・フロワにあるレジス・マルコンが挙げられます。こうしたボキューズの才能をゴーは、「伝道者としてのめざましい才能に加えて、田舎料理にせよ高級料理にせよ、フランス料理の伝統料理のルセットを完全の域にまで高めることができるという意味で天才である」と評しています。
 
 それに対し、ロビュションは新店の開店準備を行なっていたジュネーブで亡くなったのです。ロビュションはポワチエ生まれ。彼の成功は、コンコルド・ラファイエット、さらにはオテル・ニッコーとパリのホテルに始まり、独立後もパリにジャマンを開店し、フランスナンバーワンのレストランと評価されたのです。また、オテル・ニッコーのレ・セレブリテを二つ星に昇格させたのはロビュションがシェフではなく、ディレクトゥール(総責任者)としてレストラン全体を監督したからに他なりません。『ヨーロッパ天才シェフ群像』では、ちょうどジャマンが同じ十六区ながらロンシャン通りからレイモン・ポワンカレ通りに移転した折にインタヴューされていますが、同じ一九九四年には、恵比寿のサッポロビール工場跡地のガーデンプレイスに、シャトーレストラン「ロビュション・タイユヴァン」が開店することになります。彼の次なる一手は、絶対料理たる「ロビュションの料理」を世界で展開することだったのではないでしょうか。香港のラトリエは三つ星、台北のラトリエは一つ星とアジアでもロビュションの店は主要都市で展開しています。そして、日本ではタイユヴァンが撤退した後も「ジョエル・ロビュション」として三つ星。さらに、階下のターブル、六本木ヒルズのラトリエがそれぞれ二つ星と、ロビュションの日本贔屓は有名です。ラトリエのカウンタースタイルが寿司屋のカウンターからヒントを得たというのは周知のことかと思われます。日本女性のとの間にお子さんもいらっしゃいますし。そして、亡くなる直前、今年の六月には日本酒の人気銘柄「獺祭」の蔵元、旭酒造とコラボし、パリに共同店舗「ダッサイ・ジョエル・ロビュション」を開業したばかりでした。
 
 ロビュションがジュネーブで亡くなったことは、まさにフランス料理の「国際化」の象徴ではないでしょうか。フランス料理の伝統以外の要素もどんどん取り入れて行く。オープンキッチンでカウンター形式の空間しかり。日本酒とのコラボしかり。こうしたロビュションの在り方はアラン・デュカスに見いだせると言ってよいでしょう。
 
 ボキューズとロビュションは対照的であったと考えられます。ゴーは『フランスのレストラン ベスト50』でこう書いています。「キュイジーヌ・モデルヌ〔ロビュション流のフランス料理〕が世界を征服すればするほど、それに抵抗するのは彼〔ボキューズ〕一人である」、と。ボキューズ一人かはわかりませんが、ボキューズを尊敬する筆者としては、この拮抗関係こそが、フランス料理を世界で、とりわけ日本で、これほどまでに文化として認められるものにしたのではないかと思われるのです。
 
 その両翼を失った今、フランス料理は失墜するのか。それとも、その重圧から解放されて、さらに飛躍するのか。それは禅問答のように、答えが無いように思われるのは筆者だけでしょうか。
 
 心よりロビュション氏のご冥福をお祈りします。合掌。
 

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第二十五回
アジアでワインを飲むということ

 今月(二〇一八年九月)、筆者は二泊三日で台北へ出かけました。旅行中、三回食事する機会がありましたがすべてワインが飲める店で、しかも西洋料理の店でした。思えば、二〇〇五年、ソウルに出かけて以来、ほぼ毎年、ソウルか台北を訪れて参りました。昨年は香港でしたが、いずれにせよ、多少の例外を除いて、旅行中は一貫してワインの飲める店だけに出かけています。正確に言えば、出来る限りフレンチに行きたいと思っているのですが、なかなかそうは行かないというのが現状です。こうした旅行中の食事の在り方は国内旅行でも同様で、大阪に出かける機会が多いのですが、一泊二日の場合であれば、可能な限り、ランチ二回、ディナー一回すべてフレンチに出かけられるよう配慮します。その原型は、今から二十年以上前、パリを海外研究で訪れた際、デジュネ(ランチ)はビストロ、ディネ(ディナー)は星付きと決めて食べ歩いた経験にあります。つまり、世界中何処であれ、少なくとも都会であれば、フレンチを食することが可能であり、それならばできる限りフレンチをいただいてみようとはないか、と筆者は考えるのです。
 
 実際、日本であれば、それは不可思議に思われることもないでしょう。東京、大阪ともにミシュランが刊行され、少なからずフレンチが掲載されているのですから。ところが、筆者がソウルや台北に出かけ、一度も韓国料理や中華料理を食べたことがないと話すと誰もがビックリしたような顔をされるのです。筆者が外食する際、基本ワインの飲める店以外は出かけないのをご存知の方々でもです。しかし、思えば、ソウルは昨年、そして台北は今年からミシュランが刊行され、数こそ少ないものの、フレンチも星を獲得しています。そして、これらの都市では、日本版でも散見される「イノベーティヴ」のカテゴリーで星を獲得、あるいは掲載されているレストランは多いのです。これらはフレンチをベースに自国の料理との融合を模索するモダンな創作料理と考えることが出来ます。また、今回筆者が台北で訪れた「MUME」のような星付きの店は、「ヨーロピアンコンテンポラリー」というカテゴリーで、デンマークの「NOMA」、ニューヨークの「Per Se」(ナパヴァレー「フレンチランドリー」のトマス・ケラーの店)といったフレンチのグローバル化が生んだ世界的名店で修業したシェフが腕を振るっています。このように、フレンチを謳うものではないにせよ、ワインと共に楽しむ食事の出るレストランは多く存在し、また訪れる価値はあると筆者は考えます。
 
 しかし、トリップアドバイザーなどでレストランの口コミなどをチェックすると必ず出てくるのが、ワインは高いので持ち込みましょうというコメントです。しかも、現地のワインショップで買うとやはり高いので、日本から持参するのが良いといったアドヴァイスまで散見されます。台北、香港ではレストランの予約の際、ワインの持ち込み料が予約フォームに記されている場合が多いのは事実です。これはワインの値段が高いからというより、中華料理の店でワインを飲むときの習慣からではないでしょうか。昨年、香港に出かける際、香港通のフードコーディネーターの友人から、ワインを買って持ち込みで中華を食べるのがお決まりのスタイルのようで勧められました。昨今のミシュランで星を取るような中華レストランでは立派なワインリストがあるのでしょうが、町の美味しいそれなりに高い店あたりではワインリストがあるとは思えないのです。確かに、香港ではワインが高いなあと思いましたが、それは物価全般の話でワインだけ高い訳ではありません。実際、今回台北で三店出かけ、どの店でもブルゴーニュを飲みましたが値段的には日本と変わらないと思いました。前回、台北のロビュションではパンのお持ち帰りがあると書きました。これは中華では残った料理を持ち帰るという習慣があり、その影響であろう、と。ワインの持ち込みに関しても同様と思われます。
 
 確かに持ち込めば安上がりです。でも、それは日本のレストランでも同じこと。でもここは、「郷に入れば郷に従え」で店のワインリストから選ぶことをお薦めします。何故なら、地元のインポーターが入れたワインですから、日本では見かけない銘柄に出会う可能性があるからです。当リーファーワイン協会的に言えば、「品質管理は大丈夫なのか」と相当雲行きが怪しくなるのですが、まあそこはご愛嬌ということで。今回の三本のブルゴーニュに関しては、二本が同じインポーター(心世紀、ニューセンチュリー)でした。ジャン・フルニエにルー・デュモンと日本でもよく見かける作り手です。それに対し、もう一本はビーコンカンパニーというインポーターのもので、ジャン=リュック=エジェルテと日本では余り見かけない作り手。そして、このワインを選んだ店こそ、今回の旅でその立派なワインリストを拝見するために出かけようと思った、確かに珍しい例と言えましょう。
 
 その店を知ったのは、意外にもテレビを観ていてのことでした。ゴルフの宮里藍さんが出演され、世界で一番美味しいステーキの店が台北にあるというのです。筆者はステーキに興味はありませんが、世界一のステーキが台北にあるという話には惹かれました。世界中を転戦されて来られた宮里さんの発言です。中華料理ならまだしもよりにもよってステーキとは。しかも、さらに聞き捨てならぬことを宮里さんはおっしゃったのです。その店でワインの奥深さを知ってワインが好きになった、と。台北でワインを飲みたいなら、日本からワインを持って行った方が良いという旅慣れた方たちのコメントとは正反対ともいえる発言です。では、そのステーキハウスとは何処の何という店なのか。
 
 それは中山区にあるアンバサダーホテル(國賓大飯店)内の「A CUT」という名の店でした。アンバサダーホテルを含め、周辺にはグランドフォルモサを筆頭に、グロリアプリンス、ロイヤルタイペイといった老舗の高級ホテルが建ち並ぶ地域です。筆者は大規模なホテルは苦手で、なるべく小規模のデザイナーズホテルを好みます。これもまた、パリでの経験知に学んでのことです。パリではホテルといえば三十室くらいが通常で、筆者が出かけていた二十年ほど前のミシュランではホテルのマークに、「M」が「モダン」、リクライニングが「静けさ(トランキル)」という+αでシンプルに分類していました。筆者はもちろん、「M」マークのホテルからデザインで泊まるホテルを選んでいました。という訳で、今回の台北旅行も台湾の建築家、陳瑞憲がデザインした六十室ほどのデザイナーズホテル「ホテルクオート台北」に泊まりました。最上階の広い部屋でなかなか快適でした。閑話休題。アンバサダーホテルは老舗の中でも目立つ方ではありません。しかし、ミシュランには確かにA CUTは星こそ取っていないものの掲載されています。しかも、二〇一七年にリニューアルされ、ファッショナブルと評価されています。そこで、ホテルのHPからA CUTを検索すると、メニュからワインリストまで公開されているではありませんか。そして、そのワインリストを見てビックリ。宮里さんがワインにはまったのも頷ける実に見事なリストだったのです。これは出かけるしかないと早速、ランチの予約を入れました。ホテルのメインダイニングですので、ディナーは料理の値段もご立派であること。ランチであれば、料理は一人一万円以下で済み、その分、ワインにちょっと贅沢してもよかろうという訳です。また、ステーキに興味のない筆者としては、ディナーこそ星を取った店にと思い、「MUME」を予約したのでした。
 
 実際出かけてみて思ったのは、ホテルの印象でA CUTだけが別世界のようだったということです。ホテルの外観、玄関などはどちらかといったら年季の入ったまさに「老舗」といった感じでした。A CUTの場所がわからず、ベルボーイに尋ねると、玄関を入ってすぐ左手に案内されました。壁と一体化した目立たない大きなドアがあり、それが開くと螺旋状の地下へと続く照明に凝った階段が現われるのです。それを見て思い出しました。テレビで見た光景だ、と。階段の終わる辺りからワインセラーが。階段脇に並ぶワインを見るとペトリュス、リシュブール、それも一九六五年とか、もう頭がクラクラするようなブテイユばかり。
しかし、筆者のお目当てはもちろん、そのようなグランヴァンではありません。リストは日本にいるとき、充分目を通しておきましたから、あとは実際のところどうなっているか、確認すればよいだけです。ランチはオードブルとメイン、そしてデザートをチョイスする形です。筆者はメインが鴨のコースにしました。ブルゴーニュにはステーキより鴨でしょう。しかも、ランチの中でどのステーキより安い。これは狙い目です。ただし、オードブルは小ぶりですぐメインが来てしまいますので、ワインをブテイユで開けるとゆっくりワインを楽しむにはテンポが悪いというか、急かされているように感じます。ただし、今回はワインがスムーズに飲めたのでそれほどズレを感じずに済みました。
 
 さて、そのリストの見事さの第一は確かに銘酒の数々を揃えていることです。ただし、これはどこで飲もうとベラボウに高い。筆者とは縁のない世界です。傾向として、ボルドーは銘酒が中心に揃えられていました。それに対し、ブルゴーニュは村ごとにリストアップされ、どの村にも三千元台のワインが必ずチョイスされていることです。つまり、一万二~三千円くらいのワイン。筆者がすでに「一万円くらいのワインを飲むべし」と提唱したのに一致します。しかも、ホテルのワインです。日本のホテルで一万二千円では、せいぜいオート=コート・ド・ボーヌ(海浜幕張のニューオータニ)です。それに対して、A CUTのワインリストにはヴォーヌ・ロマネの項に、一万二千円くらいのものからロマネ・コンティまでがリストアップされている訳です。しかも、筆者のもう一つのテーゼ「ワインは寝かせて飲むべし」も実現されていました。どのワインも少なくとも数年は寝かせてあり、ブルゴーニュもほとんどが二〇〇〇年代一桁以前、つまり十年ほどは経ったものばかりです。
 
 その中から筆者が選んだのが、ジャン=リュック=エジェルテのモレ=サン=ドニ一九九〇年、三六○○元でした。エジェルテはニュイ=サン=ジョルジュの作り手でネゴシアン。このモレ=サン=ドニはネゴシアンものでしょうが、グレイトヴィンテージの一九九〇年、二十八年ものです。それが一万五千円しないとは。もう、頼むしかありません。ちなみに、モレ=サン=ドニにはこれより二〇〇元ほど安い二〇〇七年の別のドメーヌものもありました。エジェルテは予想以上に状態もよく、食事が早めの進行であったこともあり、最後までワインがだれることなく、しかもアルコール感も飛んでいるのでスムーズに飲み進めることが出来ました。
 
 A CUTは例外である、というのにも一理あるかと思います。しかし、だからこそ例外も含め、アジアでワインを飲むことは実に楽しく興味あることに他ならないと筆者は考えるのです。次回はA CUTで古いワインを飲んだ際のサーヴィスから感じたことについてお話してみたいと思います。
 

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目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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