美食批評への誘い  Vol.26~30

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第二十六回
何のためのソムリエ?
――台北でワインを飲みて思うこと――

 前回に引き続き、過日の台北旅行でワインを嗜んだ際、感じたことを書かせていただこうと思います。日本でフレンチに出かけるのを日常とした場合、外国に行っていつも通りにフレンチに出かけることの意義を前回は書かせていただきました。今回はそのような行動をした場合、日本では当たり前と思われることが外国では当たり前ではなく、その時、ふと立ち止まって事の本質とは何なのだろうかと考えさせられることがあるという話です。ちなみに、日常的な当たり前さを哲学では「臆見(doxaドクサ)」といって、「認識(episteme エピステーメー)」とは異なったものと理解されています。古代ギリシア語のエピステーメーがラテン語ではスキエンティア、英語のscienceの語源になる訳です。つまり、臆見とは往々にして間違っている場合がある、少なくとも普遍的真理ではないということです。
 
 さて、そんな場面に遭遇したのもあのアンバサダーホテルのステーキハウスA CUTでのことでした。前回も書きましたように、筆者はそのワインリストが実際見たくて出かけたのでした。というのも、ホテルのHPA CUTの紹介の項に親切にもワインリストが公開されているからです。https://www.ambassador-hotels.com/images/files/taipei/dining/a-cut/wine/A%20CUT%20Wine%20list.pdf
 
 PDFで五十六頁にわたる見事なリストです。フランスに限らず、世界中のワインをリストアップさせているのが今風と言えましょう。赤ワインの王道、ボルドー、ブルゴーニュに関しては、ボルドーの方が数は少なく、全体的に格付けワインでも高級なもののヴィンテージ違いを揃えている傾向があります。ブルゴーニュはコート・ド・ニュイが充実しているのが嬉しい。一番北に位置するマルサネからボーヌに接するニュイ=サン=ジョルジュまでどのアペラシオンも万遍なく揃えていて選び甲斐があります。ボーヌはやはり、銘酒のある(アロース)コルトンとポマールが中心で数も少なく、値段もニュイと変わらないのが面白い。日本の場合、ブルゴーニュのリストで値段の安い方はだいたいがボーヌのワインでニュイは真ん中より上というのが通例ですから。ということはニュイのワインを探すのが得策ということになります。確かにどのアペラシオンでもほとんど三千元台(一万数千円)のワインがリストアップされています。しかも、だいたいが二千年代一桁のヴィンテージ、十年ほど経った飲み頃のワインというのがプロを感じさせます。日本の場合、一万円を超えるブルゴーニュが(はるかに高価なものでも)二〇一四年とか平気でリストに載っているのですが、「それって飲み頃なの?」と思わずツッコミたくなってしまいます。
 
 余談になりますが、今回原稿を書く(二〇一八年十月下旬)にあたり、ワインリストを確認したところ、驚くことに気付きました。筆者が一か月ほど前の九月上旬に行った際、注文したジャン=リュック・エジェルテのモレ=サン=ドニ一九九〇年が、何と四千円近い千元も上がって四六〇〇元(約一万七千円)になっていたことです。リストのその前に記されているトルトショのモレ=サン=ドニは三四○○元で値段が変わっていないのに。これは一体どうしたことでしょう。おそらくは、筆者の飲んだブテイユが最後で補充しようとインポーターに問い合わせたところ、在庫はあるが以前卸した値段では出せないと言われ、千元値段を上げても安いくらいのワインだから注文し、リストに残したというところではないでしょうか。意地悪な見方をすれば、筆者が頼んでこのワインが安過ぎたことに気付いたので値段を訂正したとか。いずれにせよ、筆者は随分と得をした気分です。四六○○元ではきっとトルトショの方を選んでしまっていたからです。
 
 さて、リストの各アペラシオン中、先頭の方に記載されているもっともリーズナブルなワインとはいえ、一万数千円はする代物。筆者のような貧乏大学講師には大金です。思えば、席に案内して、ワインリストを持って来てくれたのは女性のウエートレスさんでした。ホテルですし、しかもフレンチではなく、ステーキハウスですから不思議でないかもしれません。筆者は以前、取材で六本木のグランドハイアットホテルのステーキハウス「けやき坂」を訪れたことがありましたがサーヴィスは女性だったと記憶しています。そして、ソムリエらしき人物は現われず、リストからそそくさと選んで(すでにHPで予習済みのリストでしたのでお目当てのワインを確認してすぐ頼んでしまったのです。同行者はそれを知らなかったので、しっかり見なくて大丈夫なのかと心配しておりました)ワインのオーダーも料理と一緒に担当のウエートレスさんにお願いしたと記憶しています。ワインには番号が振ってありましたので(ちなみに、筆者の頼んだワインはG-17-1 でした)、それは問題ないかと思った次第です。
 
 問題はワインを持ってやって来たのが若いウエーターだったことです。この段になって、不安になってきました。いくらこのレストランで安い方のワインとはいえ、一九九〇年のモレ=サン=ドニではないか。しかも、ここは老舗のホテルだぞ。ソムリエが馳せ参じて、恭しく抜栓するのが筋ではないか、と。もちろん、置かれたグラスは立派なブルゴーニュグラスで問題ありません。ウエーターはブテイユを傾け、エチケットを見せながら、このワインでよろしいでしょうかと確認をとりました。そう、正しい。ウエーターはソムリエナイフを取り出し、金属製のキャップを外します。そして、「やはり古いワインですので、コルク回りが汚れています。少々お待ちを」、とナフキンで汚れをきれいに取り始めたのです。そう、その通り。そして掃除が終わると、ハサミ型のワインオープナーを取り出したのです。これはプロングタイプと呼ばれる長さの違う二枚刃をブテイユとコルクの間に差し込んで回して引き上げて行くというヴィンテージワインを開ける際によく用いられるオープナーです。しかし、日本では、いや、フランスでもソムリエの方にプライドがあるのか、皆さんソムリエナイフで開けようとなさる。コルクにスクリューを差し込みますので、コルクが劣化していると折れたり、粉々になったり大変なことに。以前書きましたように、パリのあの天井の開く名店ラセールで、筆者のチョイスを拒否して、ソムリエが自分の薦めたピション・ラランド一九六九年を抜栓したら、コルクが粉々になり、それでも「ノープロブレム」とピンセットでブテイユに落ちた残骸を拾うと粉まみれのワインを飲まされた苦い記憶があります。台北でも実はそのような目にあったことがあるのですがそれは会員頁でお話させていだたくこととして、ともかくも当たり前のようにこのウエーター君はブロングタイプのオープナーで慎重かつきれいに抜栓してみせたのです。ボルドーほどではないもののこの時代のブションは今に比べて長く作られていましたので、「緊張しました」とホッとした様子のウエーター君。自らはテイスティングせず、筆者にテイスティング用のワインを注ぎました。
 
 もちろん、そのワインの見事さに筆者は大満足なのですが、ここに至って筆者は気づいたのです。そもそも台湾にソムリエっているの、と。ここで言う「ソムリエ」とは日本のソムリエ協会のような団体が認定した「資格」としてのソムリエです。つまり、世にいう「ソムリエ」が「ワイン専門の給仕人」とすれば(筆者はそうとは思いませんが)、別に資格がなくともワインに詳しいサーヴィスであれば、ソムリエと名乗ってよい訳です。たとえ、フランス、イタリアで国家資格になっていようと、ソムリエは資格そのものの名前ではありません。また、医師免許のような「免許」制で、免許を持たない者が従事してはいけないという事柄でもないのです。しかも、日本に至っては協会資格でしかないのですから。ネットで調べてみたところ、台湾ソムリエ協会なるものを発見できませんでした。つまり、おそらくは台湾には日本人の好きな葡萄のバッジを胸に付けた「ソムリエ」なる人物はいないのです。そう言えば、台北でソムリエに出会ったのはロビュションにいた(日本でも恵比寿にいたことがあると言っていた)フランス人のソムリエくらいで、ヤニック・アレノの店でいつもよくしてくれていた若者もソムリエではなかったのです。
 
 そして、肝心なのは上記の定義は「ワインの専門家」ではなく、あくまでワイン専門の「給仕人」ということなのです。彼ら/彼女らの職種はワイン評論家でもなんでもなく、あくまで「給仕人」=サーヴィスであることです。それが証拠には日本の場合、ソムリエ資格を取るには三年以上の「実務」が必要用件になっています。最近、酒販のための「ワインアドバイザー」が「ソムリエ」に吸収されてしまい、その実務が飲食サーヴィスだけではなく、酒販にまで拡大されましたが、結局一般人は「ソムリエ」資格を取ることが出来ず、「ワインエキスパート」になれるだけです。いくらワインに関する知識やセンスがあったとしても。それは飲食を生業としていないからに他なりません。つまり、少なくとも日本の「ソムリエ」は同業者組合=ギルドの一員ということなのです。これは医師会から農協まで同業者の利害を保全するための団体と同じなわけで、ワインを探求することを目的とした団体ではありません。それなのに、いかにも「ソムリエ」こそワインのスペシャリストのような風潮が少なくとも日本にはあります。そして、多くの勘違いした「ソムリエ」が偉そうににわか知識をひけらかして、肝心のサーヴィスがなおざりになるという目も当てられない始末。まあ、ラセールのとんでもソムリエもそうでしたから、日本人ばかりを責める訳にも参りませんが。
 
 それに比べ、オールドヴィンテージのワインを粗相なく開栓し、きちんとサーヴィス出来るA CUTのウエーター君の方がどれだけ「給仕人」として優秀なことか。もちろん、筆者はウエーター君にワインをご馳走しました。「パール・デサンジュ」、「天使の分け前」です。「もっと注いで良いよ」と言っても「これで充分です」と謙虚なウエーター君は目の前できちんとテイスティングして見せたのです。黒服でもなく、ソムリエバッヂもない。しかし、日本のお粗末な「ソムリエ」よりはるかに堂々と一連の所作ができるこの青年を見て、「給仕人」たる「本分」を忘れた「ソムリエ」たちに猛省を促したいと思うのは筆者だけでしょうか。今回の旅行は、筆者が唱えてやまない、ソムリエは何よりもまずサーヴィスのスペシャリストであるべきことを確認した旅でもあった訳です。
 

第二十七回
それでもすべては経験と共に始まる
――チャールズ・スペンス『おいしさの錯覚』を読む――

 過日のリーファーワイン協会の理事会の際、下野会長からこんな本が出ていますがご存知ですかと教えていただいたのが、チャールズ・スペンス、長谷川圭訳『おいしさの錯覚―――最新科学でわかった美味の真実――』(角川書店、20182月刊)でした。その場で本を見せていただくと目次に「雰囲気」と名の付いた章もあり、フランス料理サーヴィス界の重鎮でもあられる下野会長としては、フランス料理の評価が料理の味一辺倒になっていることに対するアンチテーゼの論拠となる本の一つとしてご教示下ったのかと理解し、早速購入し読破した次第。つまり、美味しさが雰囲気に左右されることが科学的に証明されるとすれば、フランス料理の批評は料理だけを語っただけでは不十分ということになります。これは筆者がこの連載の最初に提示した「フランス料理の正三角形」で、サーヴィスが三つの柱の一つ(他の二つは料理、ワイン)として等価に評価されるべきという主張とも合致します。しかし、実際に読み終わってみると、この手の議論にありがちなある種の居心地の悪さを感じ、はっきり言えば、ある矛盾を見て取ることが出来ます。それは「感覚(的経験)は(科学的=客観的)真実に価するか」という古代ギリシアのプラトン以来提起されてきた古くて新しい問題に他なりません。そして、著者の陥った矛盾はまた、彼の協力者であり、本の序文を起草しているイギリスいや、エル・ブジ以降の世界のグラン・キュイジーヌを先導するシェフの一人、「ザ・ファット・ダック」のヘストン・ブルメンタールの料理に感じる違和感の原因であると筆者は考えます。そこで本稿では美食批評の根幹にかかわる「美味」について、本書を繙きながら考察してみたいと思います。
 
 まず、著者チャールズ・スペンスはオックスフォード大学の実験心理学者、知覚研究者。2008年、「ソニックチップ」に関する研究でイグノーベル賞栄養学賞を受賞。ソニックチップとは「ポテトチップスを噛むときに出るパリパリという音をコンピュータで意図的に操作し、高音を強調すると、それを聞きながらポテトチップスを食べた場合、実際よりもパリパリ・サクサクしていておいしく感じる」(邦訳、386頁)という科学的真実のことです。スペンスはこのような研究を行なう学問を「ガストロフィジックス」と名付けています。ガストロノミ(美食)とサイコフィジックス(精神物理学)を合わせた造語であるガストロフィジックスの定義を著者は「私たちが食べ物や飲み物を味わうときに生じる複数の感覚に作用する要素を研究する学問」(14頁)としています。
 
 ここで注目すべきは「ガストロフィジックスの研究者は人々が何を考えているかには興味がない。人々が実際に何をするか、特定の疑問にどう答えるか、といったことに注目」(15頁)するということです。これは心理学では「行動主義」という立場に相当すると考えられます。その提唱者ワトソンは人間の心はブラックボックスのようなものでその中を詮索しても無駄である。心理学に出来ることは人間の行動を観察することだけで、心にある特定の刺激(stimulation)が与えられたとき、ある特定の反応(reaction)を示すことが発見された場合、その刺激を変えれば、反応も変わるはずである、と考えたのです。これが有名なS-R理論、刺激=反応理論と呼ばれているものです。こうして、ソニックチップスであれば、湿気たポテトチップスでも普通に食べるのではなく、そこに「ポテトチップスを噛み砕いたときの音を増幅させる」つまり、刺激を変えると、「人々は自分が食べているポテトチップスが実際よりサクサクで、新鮮であると感じること」つまり反応が変わることを「実証してみせた」(16頁)ということになります。こうして、問題は下線を付した「感じる」即ち「感覚」は「錯覚」か否かということになりましょう。
 
 「感覚」をどう扱うかに関しての著者のアプローチは「クロスモーダル(総合感覚)」と「マルチセンソリー(多感覚)」というキーワードに集約されます。どちらも「私たちの感覚はこれまで考えられていた以上に相互に作用し合っているという事実を表して」いて、クロスモーダルは「一つの感覚がほかの感覚における感じ方に影響すること」を表わし、マルチセンソリーはソニックチップスがそれに該当する現象であると言います。それは「一つの食品を口にしたときの体験に関係する二つの感覚を通じて、私たちが聞いたり感じたりした情報が脳内で新鮮さとサクサク感の一つのマルチセンソリーな知覚として統合される」と理解するのです。つまり、ポテトチップスを食べるとサクサク感という食感とサクッという音が同時に生じます。というかこの二つの感覚は切っても切れない関係にある。その一方の聴覚に増幅という人為的な刺激の変化を加えると食感の方にも変化が生じる。つまり、同時的でありながら食感は聴覚に反応するということです。いずれにせよ、ポイントは感覚が「複雑化」するとそこに「錯覚」が生じるということではないでしょうか。ということは、翻ると「単一の原子的」感覚は錯覚「でない」、真なる感覚であるということになります。
 
 実際、本書全十三章の第五章までは「味」=味覚、「香り」=嗅覚、「見た目」=視覚、「音」=聴覚、「手触り・口当たり」=触覚とそれぞれの感覚が単体で論じられ、論旨も明確で説得力があるように思われます。ところが第六章以降、「雰囲気」、「ソーシャルダイニング」、「機内食」といった総合的な状況などに論が及ぶと科学的というよりはただの経験則のようなものになってしまうのです。例えば、「マルベックなどの赤ワインの深みを際立たせたいのなら、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』やプッチーニの『トゥーランドット』の第三幕、「誰も寝てはならぬ」などが適している」(193頁)といった一節を読むと正直ガッカリします。科学的どころか、余りに主観的に過ぎますし、挙げられたクラシックの名曲が人口に膾炙し過ぎてスノッブというか陳腐な趣を隠せません。「『はい、あーんして!』 フランス語風の魅力的なアクセントで、その女性は言った。私は口を開いた。すると、それが口の中に入ってきた。……《ザ・ファット・ダック》で体験した一口のライムゼリー、それは食事が栄養の摂取以上の存在であることを示す一例だと言えるだろう」(8頁)と冒頭、本書はこのように始まるのですが、そのような体験の分析は科学的水準なのか、ワインに合う音楽のレヴェルの話なのか、実は終始明快ではないように思われるのです。
 
 その原因は果たして「マルチセンソリー」な体験よろしく、例えばポテトチップスを食する場合、食感と聴覚はそれぞれの原子的要素に分析されるのですが、それは人為的な操作に過ぎないのか、はたまた本来的には各感覚が別々にあってそれがただ「総合」しているに過ぎないのか。どうも先程も述べましたようにそれぞれの原子的感覚が前提としてあり、それらは「真」であるという確信は揺らいでいないように思うのです。しかし、プラトン以来、感覚そのものが間違うという考えがあるのも事実です。つまり、感覚は蓋然的に過ぎず、客観的に真なのは数学的な「非感覚的」な知に他ならないと。実際、リーマン幾何学のように平行線が交わる世界を考えることが出来、それは理論的に整合性を持つ「真」なる知識でありながら、それは決して感覚的に経験することはないという事実があるのです。結局、「錯覚」を謳いながら、一方で感覚を無条件に信奉するというダブルスタンダードがそこにはあるのです。ですから、厳密な科学的手法がいつの間にか「お口をあーん」に収斂してしまう結果に。魚料理を食べるときに波の音を流して照明を海の青さにするといった演出は確かに美味しく感じさせることになるのかもしれませんが、それが「美食」でしょうか。しかも、そのようなことが三つ星の店で高いお金を払って食事することなのでしょうか。「お口をあーん」に至っては、女性客には美男を、いやゲイの人にも美男を、ロリコンの人には美女ではなく美少女を、生身の人間が苦手な人には……、ということになってしまうのではないでしょうか。結局のところ、ビッグデータを活用して、オーダーメイドの食事を作るしかない。しかるに、実際は真逆で、シェフのお任せを客全員が強要される事態に。
 
 ここにはエル・ブジ以降の分子料理など最新の「科学」に裏打ちされた美食の陥る危険性が垣間見られます。新たな美食を見出すための「手段」のはずの「科学」がいつの間にか「目的」となり、新奇な手法を見出すことが美食であるかの如くになってしまう。それは本末転倒ではないでしょうか。実は同じ危惧が、翻訳中のピュドロウスキの本の中にも記されているのです。それはピュドロウスキの師でもあるゴー=ミヨの故クリスチャン・ミヨが泡(エスプーマ)など分子料理の「災禍」を指摘し、それらを「キュイジーヌ・リーブル(自由料理)」と呼んで批判、節度、地方〔料理〕、ビストロ料理への回帰を奨励したという一節(第十八章)です。ヌーヴェル・キュイジーヌの名付け親であるミヨが最新の潮流には批判的であったことは興味深く、またそれがすでに十年ほど前には書かれていたことにも驚きです。さらに、ミヨは分子料理を第一次大戦前フランスでジュール・マンカーヴによって提唱され一大ブームとなった「未来派料理」と比較して批判しているとのこと。実はスペンスは分子料理など「モダニスト・キュイジーヌ」の起源はイタリアの「未来派料理」にあると指摘し、最後の第十三章を「未来派への帰還」として一章を費やしています。イタリア未来派料理のマニフェストは1930年にマリネッティが発表した「未来派料理宣言」なのですが、マンカーヴは1913年に「未来派料理へのマニフェスト」を発表しています。両者の関係については調べる時間がなく現段階ではご報告できず申し訳ない次第ですが興味深い研究テーマであることは事実です。
 
 また、ピュドロウスキはミヨが推奨した節度、地方〔料理〕、ビストロ料理への回帰が現在に至る「ビストロノミ」の興隆に繋がっていると論じています。ファット・ダックでの食事は料理だけで一人300ポンド、約45000円だそうです。ワイン代やサーヴィス料などを加えるといくらになることやら。それで「お口にあーん」的なあの手この手のエンターテイメント的な食事が楽しめれば、それで良いという方もいらっしゃるでしょう。しかし、ビストロ感覚で美食をという「ビストロノミ」あるいは「ビストロ・ガストロ」の精神は確実に伝播し、現在のミシュラン一つ星クラスの店はまさにビストロノミを洗練、グレイドアップさせたものと筆者は理解しています。
 
 本書から「ガストロフィジックス」が「モダニスト・キュイジーヌ」や大企業のマーケティングに大いに貢献していることが明確に読み取れます。しかし、「美食」の在り方は常に問われなくてはならない事柄です。ミヨの歩んだ道はそうした事情を深く考えさせるものがあります。もちろん、本書で指摘された様々な実験結果はビストロノミを考えるときでさえ、有益なヒントを与えてくれるものと確信しています。そこで会員用の頁では、主にワインに関する本書の記述について考察してみたいと思います。
 

第二十八回
ミシュランの限界、新たな美食批評に向けて
――二〇一八年の回顧と二〇一九年への展望――

 早いもので二〇一八年最後の連載となりました。今年一年も拙文をお読みいただき心より感謝します。連載をお読みくださっている方ならお気づきでしょうが、今年は月一回の連載の内、二回も追悼文を書くことになりました。それもポール・ボキューズとジョエル・ロビュションというフランス料理界の巨匠中の巨匠二人が相次いで亡くなるとは。今年がフランス料理界、さらにガストロノミー(美食)にとってある時代の終わりを意味し、重大な転回点であることは明白と言えましょう。新たな年を迎えるにあたり、美食批評のこれからについて少しお話させていただきたく思います。
 
 この原稿を書いている十二月は、ここのところ毎年、翌年版『ミシュラン』東京版が発売され、その都度マスコミが今年のトピックを取り上げることになります。二〇〇八年度から開始された東京版は十年を過ぎ、ここのところ掲載の仕方も安定してきたと言えましょう。そして、今回(二〇一九年版)の話題はビブグルマンにおにぎり専門店の浅草「宿六」が登場したことに尽きます。つまり、「おにぎり」というカテゴリーが新たに追加されたのです。「宿六」は昭和二十九年(一九五四年)創業の半世紀以上続く老舗。筆者も三十年近く前に訪れたことがあります。筆者が東洋大学文学部の哲学科助手になる少し前のことだと思いますので一九九〇年頃か、と。すでに記したかと思いますが、筆者の前任の助手が浅草の有名なお寺のご子息のO先生で、先生のお手伝いをさせていただきつつ、夜はまず青山や六本木の当時流行のカフェバーなどバー関係で一通り飲み一段落すると、河岸を浅草に移して、夜な夜な豪遊させていただく日々でありました。青山・六本木は筆者が店を選び、浅草はO先生の行きつけの店に連れて行っていただいた次第です。だいたいジャズバーの「フラミンゴ」でまた飲んで、その後、金太郎寿司や路地を入った韓国語の飛び交う焼肉通り?に連れて行っていただきました。先生行きつけの焼き肉屋の骨付きカルビの絶品だったこと。それと一緒に出される王冠の開いたキリンビールの瓶に入ったマッコリ(密造酒?)にカルチャーショックを受けたことを鮮明に覚えております。
 
 そんな中、時に最初から浅草に向かうこともありました。その折は「フラミンゴ」に行く前にちょっと腹ごしらえに、と老舗の名店にO先生は連れて行って下さいました。座敷に上がってお好み焼きをいただく「染太郎」など趣深いものがあり、夏の暑い時に出かけた際は冷房がきかず、汗をかきかきお好み焼きを口に頬張るのが何とも乙な感じで、筆者は好きな店です。そして、「宿六」にも連れて行って下さったのです。最初、おにぎり屋と聞かされ、何とも戸惑ったのですが、寿司屋のようなカウンターの店で、上品な老婦人が一人で切り盛りされていたように記憶しています。現在の店主は中年の男性ですので、その方のお婆様に当たられる方だったのではないでしょうか。おにぎりにしては値段が立派なことと、「にぎり」ではなく、ご飯がふわっとまとまっているだけの感じで、巻いてある海苔と具とのバランスの良さに「専門料理」としての「おにぎり」があるのだ、と感心した次第です。
 
 しかし、思えば、『ミシュラン』東京版で話題になるのは「ラーメン」が星を取っただとか、筆者の東洋大時代の教え子按田優子嬢の「按田餃子」がビブグルマンに「餃子部門」で初めて掲載されたとか、要は「フレンチ」、「日本料理」などオート・キュイジーヌ(高級料理)以外のカテゴリーが新たに追加されていくということに限られていると言えましょう。今回の「宿六」も「おにぎり」が初登場というふれ込みで、ワイドショーなどが店を紹介するシーンがあちこちで見られた訳です。こうした現象が起きる理由はまず、日本の場合、「フレンチ」と「和食」というオート・キュイジーヌが二本柱になっていることで、星付きの店が世界で一番多い国になっていることです。しかも、「和食」はいわゆる「懐石」以外に、「寿司」、「天ぷら」、「鰻」など特化したジャンルで星を取ることが可能なだけに星の数は増えるばかり。それは、二〇〇八年の最初の東京版が星付きの店だけ掲載された異例のスタイルだったことに象徴されましょう。
 
 例えば、二〇一八年の今年『ミシュラン』台北版が初めて公刊されました。すでにご報告させていただきました通り、筆者はそれを参考に一つ星の「MUME」へ出かけ、その評はブログに掲載しております。この「台北版」は星付きの店、ビブグルマンの他に、大半を占めるナイフフォーク+皿のマークの店、と店に三種の分類がなされています。そして、「パリ版」もまさしく、「台北版」と同様の様式なのです。というか、「パリ版」こそ標準だとすれば、「台北版」はそれに倣っただけで、星付きの店とビブグルマンしか掲載のない「東京版」が異例ということになります。
 
 では、ガイドの大半を占めるナイフフォーク+皿のマークは何を表わしているのでしょう。フランス語では「l’assitette」、台北版の英訳では「plate」と書かれています。直訳すれば、「皿」ということになります。が、フランス語の「ラシェット」には「安定、平衡、基礎」といった意味があります。つまり、数ある店の中で掲載するに値する店という意味です。そして、その中からとりわけ秀でた店に星を、価格的に、パリ版では三十七ユーロ以下、台北版では一〇〇〇元以下の店にビブグルマンを付与しています。ところが、東京版にはこの平均的な店が掲載されていません。というのも、ビブグルマンは五〇〇〇円以下で食事できないといけないからです。二〇一九年版では一つ星のフレンチの料理の価格は一万五千円が相場です。とすれば、フレンチの場合、五千円から一万五千円の価格帯で食事することになる店は掲載されていません。例えば、一万円くらいで星を取ろうと頑張っている店を知ることが不可能なのです。というか、価格的に大半のフレンチの店がごっそり抜け落ちているということになります。これはガイド本としてはいかがなものかと思われます。
 
 そうした状況をカバーすべく登場したのが『ゴ・エ・ミヨ』でした。二〇一七年版が「東京・北陸」、二〇一八年版が「東京・北陸・瀬戸内」と地区の設定に疑問を呈さざるを得ませんが、フレンチに関しては十九点から十二点までの間、〇・五点刻みの点数制ですので、『ミシュラン』で本来在るべき「ラシェット」の店が掲載されていることになります。その分、ビブグルマンに相当するカテゴリーがありませんので、安くて美味しい店は『ミシュラン』を参考にされた方が良いでしょう。ただ、このガイドは二〇一七年版と二〇一八年版ではインスペクターなどスタッフが異なっており、『ミシュラン』に対抗して十二月に新年度版を出していたのですが、二〇一九年版は二月に公刊予定で未刊。しかも、今回のエリアは「東京、北海道、北陸(富山・石川・福井)、東海(愛知・静岡・岐阜・三重)、関西(京都・兵庫)」となんとも節操がなく、関西では大阪が抜けているというのはいかがなものでしょう。全国版を狙っているのかと思いますが、それなら、関西は今回は掲載せず、大阪を調査して、二〇二〇年度で「東京」、「関西」と「その他の地方」の三地域で全一冊、あるいは三分冊、「東京・関西」で一冊の二分冊で公刊されたらいかがでしょう。『ミシュラン』東京版も当初は不安定でしたので、もう少し様子を見る必要があるかと思います。
 
 というか、筆者が思うに、『ミシュラン』東京版の場合を察するに店の数が多すぎる訳で、それは一冊のガイドで「フレンチ」と「日本料理」の二本柱と欲張ってしまっているからではないかと思うのです。「フレンチ」と「日本料理」を別々にガイド化すれば、「ラシェット」に該当する店が掲載可能ではないでしょうか。「パリ版」の場合フレンチが、「台北版」の場合中華料理が柱なので、他の料理はそれに付随する形になっているため、「ラシェット」が大半を占めることが出来る訳です。そして、同じことは『ゴ・エ・ミヨ』についても言えるといってよいでしょう。発足時の編集陣はフレンチ中心でしたが、変わったことで『ミシュラン』のような二本柱に移行しつつあるように思われます。
 
 つまり、東京のフレンチに特化した(イタリアンなど西洋料理を含んでもよし)ガイドこそ必要なのではないでしょうか。そう思うと、思い出されるのが見田盛夫(一九三三~二〇一〇)氏の『エピキュリアン』です。もちろん、見田氏が山本益博氏と著した『グルマン――東京・関西フランス料理ガイド』こそ金字塔と言えるのですが、『グルマン』の面影を残した当初の東京・関西版『エピキュリアン』(講談社)よりも、東京に特化した後年の丸善から出された『エピキュリアン』の方がより簡潔で洗練されたガイドになっていると筆者は考えます。この本を手にした当初、これが水準なのかと思い、「まだまだ、だなあ」などとあれこれあら捜しをしたものですが、残念ながら、現在の上記二冊のガイドはその域に達していないというのが筆者の見解です。
 
 来年、筆者はようやくジル・ピュドロウスキ『美食批評家は何の役に立つのか』の翻訳を新泉社より公刊することになります。そして、この連載もまた単行本化される予定です。ピュドロウスキの本をお読みいただければ明白かと思いますが、ピュドロウスキのいう「クリティク・ガストロノミク=美食批評(家)」は日本の「料理評論(家)」とは似て非なるものです。リーファーワイン協会が「本物のワイン」を追求するように、ピュドロウスキの本が日本における「真の(美食)批評」への扉を開ける一助になれば幸いと考える次第です。そして、パリには『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』の他に『ルベ』やピュドウスキの『ピュドロ』があるように、多くの視点から美食が語られるようになることを期待しています。ピュドウスキ曰く、「真理は一つであるが、その在り方〔=語られ方〕は多様でなければならない」、と。
 

第二十九回
美食家は美食批評家ではない
――ピュドロウスキの翻訳を終えて――

 遅ればせながら、今年もどうかよろしくお願いします。年が変わる前に、懸案だったピュドロウスキの翻訳を脱稿する予定でしたが、年を越してしまい、何とか松の内までには完訳することが出来ました。現在、初校を校正中。新学期には出版されることと思います。本文にそれと同量くらいの註などを付しました。例えば、原著ではレストランの名前だけが掲載されていますが、パリの何区の何通りに在って、シェフが誰かなどを調べて書き足したのです。しかし、編集者の手を入れたゲラを見るとそれらのほとんどが削除されていました。確かに本にした際、煩雑になり過ぎるのが目に見えていました。自分としては編集者の意向に沿って世に出すことにしたいと思っております。「訳者あとがき」でどのようにその経緯を説明し、読者をフォローしていくか。HPのアドレスを掲載し、質問などを受け付けようかと考えています。ピュロドウスキも本の中で、ブログなどで読者の質問に答えるのが自身、即ち、美食批評家の仕事であると書いています。そこで、本稿では「訳者あとがき」とは異なった視点から、この翻訳から学んだことを記してみたいと思います。
 
 それは冒頭、第一章のタイトルに窺われます。「常軌を逸した者の仕事」。un métier de feuというのが原語です。ここでのポイントは常軌を逸しているのが「métier 仕事・仕業」であるということです。確かに、de fouというのは、deが英語の前置詞のofに相当しますので、fouは名詞、「気の違った者」ということになります。しかし、フランス語では
histoire de fouが「信じがたい話、でたらめな話」といった使い方をします。従って、un métier de feuも「常軌を逸した仕事」と訳すことも可能です。このあたりが翻訳の難しいところですが、形容詞のfouではなく、あえてde fouと書いたピュドロウスキのことを考えると「常軌を逸した者の仕事」が正しいのではないかと考えた次第です。ただし、意味的にあくまで常軌を逸しているのは「仕事」であることは、冒頭の文章で明白になります。というのも、この本の初めの文章が「私はまともな人間である」と「常軌を逸した者」とは反対のことを述べているからです。しかし、一方であえてこの一文から始めたのは、タイトルに名詞のde fouつまり「常軌を逸した者の」と書いてしまったからに他なりません。
 
 ここで、「仕事」と言われているのは「美食批評(la critique gastromique)」です。では、美食批評を生業とする「美食批評家」は何というのでしょうか。実はle critique gastromiqueといいます。一見すると同じではないかと思いますが、実は最初の定冠詞laとleが違っています。フランス語は名詞に性別があります。女性名詞で用いた場合、批評という事柄を表わし、男性名詞で用いた場合、批評家という人間を表わします。では、女性の「美食批評家」はどうするのかとフェミニストに突っ込まれそうですが、leで通すのがセオリーでしょう。しかし、昨今はlaにして、文脈から批評なのか批評家なのかを判断する方が時代に合っているかと思います。
 
 実は先日、担当編集者と会った際に筆者は驚くべき事実を知らされたのです。この本は「何の役に立つのか」というシリーズの一冊で、すでに『教えてデュベ先生、社会学はいったい一体何の役に立つのですか?』、『教えてルモアンヌ先生、精神科医はいったい何の役に立つのですか?』の二冊が同じ新泉社から邦訳されています。予想がつくと思われますが、「社会学」は正確には「社会学者」です。従って、筆者の訳した本も本当なら、『ピュドロウスキ先生、美食批評家はいったい何の役に立つのですか?』とでもタイトルを付けねばならないのでしょうが、「先生」が当てはまらない職業ですし、現段階では違ったタイトルの本にしようと編集者と話し合っています。それにしても、第一章が「仕事」というタイトルから始まるのは何故かと思っていたところ、このシリーズは高校を卒業したくらいの学生をターゲットに「職業」について解説するものだと聞かされ、愕然としたのです。美食批評家を生業の一つと考えるということ自体、グルメの国フランスならではというか、いくらフランスでもそれはないだろうとまずは思う訳です。次に、二十歳くらいの学生に、一頁にレストランの名前が二十軒くらい、何処にあるかも一切知らされず、羅列されているような本は適切なのだろうか。もちろん、シェフの名や料理名なども推して知るべし、です。それこそ、職業ガイドとしては「常軌を逸して」いると思いますが、「美食批評(家)」とは如何に在るべきか、ということを論じた本であれば、しごく「まっとうな」著作であると思います。
 
 それはそうと、ピュドロウスキが美食批評が常軌を逸していると考えるのは、「あなたのために食べる」からに他なりません。「あなたのために食べる」職業。このフレーズは全編にわたり、事ある度に登場します。「美味しい」という「食の喜び」は突きつめれば、極めて「私的」なことに他なりません。つまり、好みは人それぞれということであり、「美食家」は自分が心の底から「美味しい」といえるものを探求するのではないでしょうか。それに対して、「美食批評家」は「他者」即ち、「客」、さらには「美食家」のために食べる。これはある意味、「本末転倒」ではないか。ここから導き出されるテーゼこそ、
「美食家は美食批評家ではない」。
もう少し、正確を期せば、
「美食批評家は美食家であるが、美食家は美食批評家ではない」
ということになるでしょう。
つまり、美食家と美食批評家はイコールではない。トートロジーではないということです。
 
 だからこそ、「美食批評」は「常軌を逸した」仕事。特殊な職業だとピュドロウスキは主張するのです。では、いわゆる巷にあふれる「ブロガー」のような人々は「美食批評家」か、と尋ねられれば、ピュドロウスキは「否(ノン)」と答えるでしょう。何故なら、彼ら/彼女らはあくまで「自分のために」食べるのであり、「他者のために」食べている訳ではないからです。そして、問題なのは「美食批評家」のように「ブロガー」が食べてしまっているということではないでしょうか。つまり、美食家は本来、美食批評家のようなレストランの使い方をしない方が良いということです。具体的に言えば、美食批評家はレストランを「格付け」するために一軒でも多く食べ歩くのに対し、美食家は「顧客」になるべく、行きつけの店を見つけるべしということです。
 
 すでにこの連載で度々触れて参りましたように、筆者は「ル・マエストロ ポール・ボキューズ トキオ」の閉店前の数年間、顧客の末席に加えていただき貴重な体験をさせていただきました。これは筆者が大学に奉職した直後のことでした。その前にも筆者は行きつけのレストランがありました。もちろん、大学に入学してフランス料理に関心を持ち始めた当初はあちこち食べ歩きました。一人でランチを食べに出かけましたし、父が協力的で、勤めていた銀行の部下の女性を伴って、ディナーを食べに出かけたものです。横浜のホテルニューグランド出身でテレビの料理番組にもよく出ておられた水口多喜男氏の東麻布の「ピアジェ」や銀座の「エスコフィエ」、「ラ・プロムナード」など懐かしい名店に出かけたのを覚えております。しかし、ある時、これからは彷徨い人はやめて、この店に通おうと決心し、自分から出かける際は必ずこのレストランという店を見つけました。正直、毎回違う店に行っても食べ散らかしているだけで余り身になっていないように感じていたのです。そんな時、通ってみたいレストランに出会ったという訳です。
 
 それは代官山のはずれにあった「ヴィスコンティ」という店でした。フレンチにしてはイタリアの有名な映画監督の名前を冠した今から思えばちょっといかがなものかという感じですが、当時はそれが新鮮に感じられたものです。まだ、街場のフレンチがそれほど多くはなく、ホテル中心の時代でしたから、フランス語がかえって荘厳で堅苦しく思えたのです。こじゃれた感じのこじんまりした店内はレカンやマキシムのような格調高さはないもののビストロとは明確に一線を画した気品に溢れたものでした。入り口脇にセパレートされた数席のウエイティングバーもしつらえており、当時のフレンチの趣が窺えましょう。また、当時としては珍しいシェフが若いというのも魅力的でした。その廣田亮シェフは人当たりがよく、客席にも事ある毎に顔を出して、客とのコミュニケーションを大切にされていました。筆者のような生意気な若造の話にも耳を傾けて下さり、時には議論するといったこともしばしば。客層もよく、俳優の平幹二朗氏や小川真由美氏が常連で、伝説のグルメ番組『料理天国』(TBS)でも確か平氏の行きつけとかで紹介されたことがあります。撮影のあった直後にたまたま来店し、平氏だったか龍虎氏だったかが番組で食されるのと同じ料理をスペアで作ったのが一皿残っているので食べるかと聞かれ、父が是非にと嬉しそうに食べていたのをよく覚えています。
 
 筆者はこの店に通うことで「お任せ」の意味を知りました。顧客になると、最初料理を決める際、廣田シェフがテーブルに来て、今日はこんな食材が手に入ったので食べてみませんかと尋ねるようになりました。また、ソースなどもメニュに載っているものではなく、筆者はこの方が好きそうだからいかがとオーダーメイドに近い形にして下さるのです。一番印象に残っているのは店のオーナーが筑波山で仕留めた鹿を勧められた時です。当時は鹿がメニュに載ることは珍しく、脂肪分が少ないので背脂を刺して調理する方法など、鹿が好物になるのと同時に様々なことを学ぶことが出来たのです。
 
 サーヴィスの方々も親切で、エスプレッソ好きの筆者はマシンの使い方を教わり、好きなだけ自分で淹れて飲んでよいとお墨付きをいただきました。もちろん、流石にそこまで筆者も出来ませんでしたが(笑)。このように、顧客になってこそ、料理だけでなく、レストランというものの全体が、即ち「フランス料理を食する」ということを理解することが出来るのです。また、「お任せ」とはシェフに任せるといっても、本来、シェフが客の好みを熟知したうえで、この客にはこの料理が合う、あるいは食べてもらいたいという個々の客に応じた料理を提案することで、自分が責任を取りますので「お任せ」いただけませんか、という筋合いの事柄で、誰もが同じ料理を食することとは正反対なのです。
 
 このように、美食家とは、「永遠の一見客」である美食批評家とは異なり、行きつけの店を持ち、「顧客」としての在り方を心得た者なのです。また、美食批評家もまた、プライヴェートで美食家として食事する際はもちろん、行きつけの店でくつろいだ食事を堪能すること、間違いありません。
 

第三十回
混乱と洗練
――『ゴ・エ・ミヨ』2019年版を読む――

 今年もまた、『ゴー=ミヨ』日本版(『ゴ・エ・ミヨ』)が無事出版されたことを嬉しく思います。三年目、まだまだ混乱は続いていますが、『ミシュラン』に対抗できる現在のところ唯一のレストランガイドとしてその存在は重要です。両ガイド共に、本国フランスでは全国版とパリ版があるのですが(『ゴー=ミヨ』のパリ版はホテルが載ったり載らなかったりなど掲載様式が不安定で、毎年出版されていたのが前回は二〇一七~一八年の各年になり、今年はどうなるのか先行き不透明です)、日本では『ミシュラン』が地域別に刊行され、『ゴ・エ・ミヨ』は一冊ですべてをフォローしようとしているように思われます。ただし、どちらも地域の限定の仕方が不安定で、『ミシュラン』は「東京」は固定したようですが、「京都・大阪」は二〇一九年版では何故か鳥取が加えられています。では、「神戸(兵庫)」はどうするのかというと、二〇一五年までは「関西」で一緒だったのが、「特別編」という形で「兵庫 二〇一六年」が刊行され、「京都・大阪」から分離され、その後「兵庫」編は出ておらず、「京都・大阪」が毎年刊行されています。特別編には「宮城」、「北海道」、「富山・石川(金沢)」、「横浜・川崎・湘南」、「福岡・佐賀」などがあり、不定期刊のようです。
 
 一方、『ゴ・エ・ミヨ』はまだ日が浅いのでこれからどうなるかはわかりませんが、現時点では一冊本として日本版を作ろうとしているように思われます。というのも、最初の二〇一七年版が「東京・北陸」、二〇一八年版が「東京・北陸・瀬戸内」、そして最新版が「東京・北海道・富山・石川・福井・静岡・愛知・岐阜・三重・京都・兵庫」となっているからです。年々地域を拡大しているように思われますが、昨年あった「瀬戸内」=岡山・広島・山口がなくなってしまっているのが気になります。また、「大阪」がないのは致命的というか、ガイドとして未完成であることを露呈してしまっているように思われます。『ミシュラン』が「東京」、「京都・大阪」(本来なら、兵庫も加え「関西」が相応しいと思うのですが)と毎年刊行する軸を据え、他の地域を「特別編」で適宜フォローする形態をとっているのに対し、『ゴ・エ・ミヨ』は、東京(そしておそらくは北陸=富山・石川・福井と京都・兵庫)を不動とするも他の地域を毎年増やしていき、最終的に全国版を完成させるのか、それとも、その都度いくつか適宜加えていくのかは不明です。後者はいわば、『ミシュラン』の特別編にあたるものを付録のように毎年違ったものを付け加えるといったスタイルです。そうすれば、今年瀬戸内が消えたのも説明がつくでしょう。そして、来年は「東京・富山・石川・福井・京都・兵庫」に間に合えば「大阪」をレギュラーとして加え、後は適宜、宮城、福岡などを加え、必要なら広島など瀬戸内を復活させるなど毎年違った県をレギュラー県と共に掲載するのです。そうすれば、ガイドそのもののボリュームはある程度一定に保たれ、調査の精度が落ちることはないかと思います。全国版にしようとすれば、調査員も相当数増やさねばならず、日本ではそれは難しいのではないかと思うのです。
 
 というのも、今回新しく加わった「静岡」の項を読んでガッカリしたからです。この連載を読んで下っている方はお気づきかと思いますが、筆者の今は亡き両親とも実家は静岡市内にあります。転勤族だった父の仕事の関係で、筆者は静岡に住んだことはないものの、帰省で、さらに両親亡き後も冠婚葬祭などで静岡へ出かけることはあるのです。そして、運よく大学時代の友人が静岡市内で塾を経営しているので、出かけた際はホテルに泊まり、友人とワインを飲みに出かけることが多々あります。つまり、筆者は静岡でも外食は決まってフレンチにしています。これは大阪・名古屋でもそうですし、台湾、香港、ソウルでも同様でした。
 
 そこで、『ゴ・エ・ミヨ』の「静岡」の項を見てみますと、たった四頁、八店しか掲載されていませんでした。しかも、静岡県全体でフレンチだけでなく和食等も含めてです。これは明らかに出来る限り多くの店を調査してその中から厳選したという体ではないことがわかります。筆者が静岡市内で訪れた何店かのフレンチなど箸にも棒にもひっかからない店なのかもしれません。しかし、八店舗中、フレンチは四店舗。その内、二店舗が静岡市、富士宮市と浜松市がそれぞれ一店舗。これって、おそらく最初に掲載する店を決めて、二日くらいでそれらの店を確認のため訪れ、食事した。実際、静岡の二店のうち、一つは代官山の一つ星「レ・ザンファン・ギャテ」でシェフを務めた原口広氏の店。宮崎生まれの原口氏が何故静岡に店を開かれたのかは存じ上げないが、何とも「テロワール」を感じさせない。その鍵は「富士宮」にありそうで、富士宮にある「レストラン・ビオス」がどうもその核なのだろう、と。こちらは「料理はいずれも富士宮という土地の力を感じさせ」とあります。その養殖の歴史を誇る「鱒」。これは原口シェフの店でも「富士宮産の鱒のコンフィ」で登場。さらに原口シェフの店の「食材は近隣の富士宮市・北山農園の野菜をはじめ」とあります。決定的なのは静岡市で掲載されたもう一店舗のフレンチ「カワサキ」。ここの河崎シェフは「レストラン・ビオス」のシェフだった方で、食材は「9割は富士宮産です」と明言される次第。これって、静岡のフレンチではなく、「富士宮フレンチ」では。いや「レストラン・ビオス」繋がりでは、と思われても仕方ないのではないでしょうか。静岡市民の末裔である筆者としては憤慨せざるを得ません(笑)。
 
 つまり、代官山で星を取った原口シェフ、「タイユヴァン=ロビュション」を経て「里山ガストロノミー」と提唱するサーヴィス出身の松木一浩氏がオーナーの「レストラン・ビオス」と、結局、東京での名声を頼りにしただけで、実際静岡でどのようなフレンチの店が存在するのかをまったく顧みないその選択の仕方は、結局、「静岡」という土地を有名無実にするに過ぎません。簡単に言えば。これら有名人の紹介ページで、「静岡」である必然性はないということです。
 
 ですから、逆に「大阪」が載っていないのは、おそらくその土地のレストランをろくに調べずに書くことが出来ないからでしょう。時間と手間がかかるのです。『ミシュラン』で星を落とされて反論したシェフが大阪にはいらっしゃるようですし、慎重になっているのかもしれません。いずれにせよ、全国版を目指すにせよ、東京と関西(京都・大阪・兵庫)を核とし、あとは地方の名店とでも銘打って、「静岡」などと言わない方が良策かと思います。あるいは『ミシュラン』のように「東京」と「関西」で二分割し、あとは特別版か、「東京」+「東日本」と「関西」+「西日本」の二分冊で全国をフォローするのも良いでしょう。
 
 しかし、筆者としては地区よりは「料理」別で二分冊にした方が良いかと思います。筆者は『ミシュラン』が日本に上陸した際(二〇〇八年)、『日刊ゲンダイ』紙で「ランチで使えるミシュラン」という特集で記事を書かせていただきましたが、担当記者に二点どうしてもお願いしたことがあります。それは、和食は別の方にお願いしたいということと記名記事にして欲しいということでした。お酒ではワイン専門家、ウイスキーの専門家がいるのに、何故、料理は何でも語れるのでしょうか? 筆者はフランス料理に関しては「批評」出来ると思いますが、「和食」には「感想」くらいしか言えないと思っています。また、記名記事にすることで発言に責任を持つべきだと思うのです。「匿名性」の持つ検証無しの無責任発言や過剰な攻撃性、手放しの称賛といった問題性はSNSの発達した現在では社会問題化しています。ともかくも自分が責任の持てるジャンルを明確にし、発言すべきと筆者は考えます。そこで、ガイドも西洋料理と東洋料理?の二分割にして、それぞれの基準を明確にし、星を付けるなり、美味しくて安い店(ビブ・グルマンに相当)などを評価すべきと考えます。そうすれば、少なくとも西洋料理のガイドでは、整理券をもらって並ぶ店など登場せず、いわゆるグランメゾン系が星を獲得し、さらには星に近いが今一歩という店など「星なし」の店が多数を占めるフランスと同じ形のガイドが可能となるでしょう。
 
 『ゴ・エ・ミヨ』を読んでいると混乱した状態がどのように整然としたものに収斂していくのか、不安でもあり楽しみでもあります。『ミシュラン』が星付きとビブ・グルマンだけに絞って安定していたのは良いのですが、多数を占める「星なし」をオミットした代償は大きいと言わざるを得ません。その点、『ゴ・エ・ミヨ』はまだまだ「未完」の可能性を秘めているのも事実です。また、昨年批判した料理とは直接関係ない蘊蓄や文学的美辞麗句といったものが今年は随分そぎ落とされ、『ミシュラン』とはまた別の味わいのある文章になってきているように思われます。それは一つの店に対するコメントを昨年に比べコンパクトにまとめるようにしているからに他なりません。実際、二〇一八年版は四七〇件で三六〇頁だったのに対し、今年は五二九件で三四〇頁と掲載件数が増えたのに頁数は減っております。こうした傾向は「洗練」と言えるのではないでしょうか。
 
 こうして『ミシュラン』と『ゴ・エ・ミヨ』が互いに切磋琢磨してくれることはグルメにも美食家にも嬉しいことと思います。しかし、筆者がさらに望むのはやはり、『ピュドロ・パリ』や『ギッド・ルベ』のようにパリに特化したガイド本の日本版、即ち、かの見田盛夫氏が最後に到達した『エピキュリアン』、「東京フランス料理店ガイド」のようなスタイルの「批評」ではないでしょうか。一つの都市かつ一種類の料理で、出来る限りすべての該当店を食べ歩き、それらを格付け、分類して位置づけ、評価すること。もちろん、これは「和食」にも該当することですし、「ラーメン」、「カレー」といった料理ではすでに専門家の存在やそのような評価が行われているのではないでしょうか。「フランス料理店」の正しい評価、筆者の関心はその一点にあると言って良いでしょう。餅は餅屋で、それぞれの料理に専門家が登場し、「批評」が「洗練」されて行くことを願うばかりです。
 

目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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